「いいね」が何個ついたとか、動画の再生回数が何万回を超えたとか、他者からの評価が数字で可視化される。まるでその数字が、その人の戦闘力を表しているかのようです。

自己の評価が完全に他者基準になっていて、自分で評価することを放棄している。自己の確立を他者からの承認(SNSの「いいね」など)のみに依拠しているから、自分を実態以上に「盛ってしまう」現象が頻発するのですね。これが現代の大きな問題だと思います。

これまで何度か申し上げてきたように、仏教では唯心論、すべてのものごとは自分の心の中にしかないという考えが基本にあります。

「私」という存在が今ここに現出するのは、さまざまな因果関係の結果ですが、それに意味づけをするのは自分です。すなわちグッドなのかバッドなのかは、自分が決めればいいのです。

にもかかわらず、それをすることなく「SNSで『いいね』がたくさんついたからグッドだ」とか「罵詈雑言を浴びせられたからバッドだ」、行き過ぎると「私なんて生きている価値がない」と決めつけてしまうのは、自分の認識力を軽視しすぎています。

本来、他者から反射されるのは「私」という存在そのものであって、認識であってはいけないはず。認識の領域までも他者からの反射に依存してしまう態度が、現代の「バズの病」を引き起こしているのではないかと感じます。

【釈迦牟尼だって文句を言われていた】

ここで参考にしたいのが、原始経典に記された釈迦牟尼の言葉です。

何をしても、何かをしたといってある人は非難する。何もしなくても、何もしなかったといってある人が非難する。何かをしてもしなくても、非難する人は非難する。だから他者の声なんて気にせずに、自分の心と向き合いなさい。

同じような言葉を、みなさんも聞いたことがあるでしょう。私がこれに救われたのは、言葉の内容そのものよりも、これを言った人が釈迦牟尼であるという事実です。

あのお釈迦様でさえ、何かといっては文句を言われケチをつけられていたんだ。称賛しかされなかったのであれば、こんな言葉は出てきませんから。そう思えば、自分が文句を言われるのなんて当たり前のことだ、と思ったのです。

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