孤独な寝たきりになる高齢者の共通点

肉体が衰えて病気になると、ときには死へと誘導するような致命的な孤独感が生じます。だとすれば、私たちにできる「老化を遅らせる練習」の3つめは、「体を酷使しないこと」です。

高齢者に対しては、「日々、足腰を鍛えなさい」と、運動を推奨する風潮があります。でも私は、そんなに無理をする必要などない、と考えます。

今88歳の私がしている「運動」といえば、スーパーまで歩いて買い物に行くことと、都心にある出版社に電車に乗って出向くことくらいです。

ただ、マンションの外に出るときは、エレベーターは目的の1階手前の階で降りるようにしています。そして1階分12段の階段を自分の足で上ったり下りたりしています。このようにして一日4往復くらいすれば、十分体力を維持できます。

また、このくらいの軽い運動をすれば、自分の体力がまだまだ衰えていないことを確認できますし、何かのスポーツをするよりずっと簡単で、確たる自信にもなります。

この程度でまったく構わないのではないか、と思っているのです。

ウォーキングはおろか、少しの散歩すら、本当は必要ないのではないでしょうか。

足腰の関節などの耐用年数からいっても、世の中の筋トレブームにつられて無理に「運動しよう」なんて考える必要は、まったくないと思っています。

もちろん、苦もなく楽しく動けるならば、それに越したことはありません。山登りもいいし、マラソンだっていい。若いころにしていたスポーツを、年寄り仲間と楽しむことは否定しません。

ただ、私の周りで、高齢になってまでスポーツをやっていた人は、どういうわけか皆、早くに亡くなっているのです。あるいは、寝たきりになっています。

そういう事実ともあいまって、「運動すれば健康的になる」という常識は、「軽い運動をすれば健康的になる」という程度に解釈して、汗だくになって息があがるほどのハードな運動はやめておいたほうがいいと思うのです。

苦痛に顔をゆがめてまで健康になろうとする必要はないし、日々練習をして「大会で優勝しよう」なんて気張る必要もないでしょう。

image_202310061702.jpg 出所=『65歳からの孤独を楽しむ練習 いつもハツラツな人』
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「生涯現役」という幻想も孤独を招く