今週のコラムニスト:マイケル・プロンコ

〔9月7日号掲載〕

 東京の夏が終わって一番ほっとするのは、秋の涼しい風を感じることではない。「夏のアドバイス」の幕が下りることだ。

 私は人一倍、暑がりで汗かきに見えるのだろう。暑さと湿気対策のアドバイスを引き寄せる体質のようだ。東京で会う人は口々に涼しく過ごす方法を教えてくれる。冷たい水を飲みなさい、温かいお茶を飲みなさい、抹茶アイスを食べて、鰻(うなぎ)を食べて、扇風機のそばに座ること、扇風機のそばに座らないこと......。

 どれも善意からなのだろうが、すべてに従おうとすると少々骨が折れる。今年の夏もカビの掃除や日よけの作り方、水分補給など、教わったアドバイスをすべて実行できればよかったのだが。

 東京に来たての頃に教わったアドバイスで秀逸だったのは、店頭にメニューが出ていない店(値段が高過ぎる)と、サンプルにほこりがたまっている店(たぶんおいしくない)には入らないことというもの。この2点を忠実に守ってきたおかげで、まずい店に当たったことはない。

 役に立つ正しいアドバイスもあるが、常にアドバイスがあふれているせいで懐疑的にもなる。結局、トマトの育て方について、隣人の女性のアドバイスは悲しいくらい正しかった。今ではわが家のトマトはしおれているが、彼女のトマトはすくすく育っている。

 私にとっての快適さとは懸け離れたアドバイスもある。電車の中でクーラーの送風口の下に立つと、本当に体に悪いのだろうか。私は風に合わせて頭を前後に揺らし、できるだけ冷やしたいのに!

 コメのとぎ方についてはかなり良い方法を教わったはずだが、忘れてしまった。東京で次々にアドバイスを浴びていると、祖母が私の後ろを付いて回っているような気がする。「台所の魚臭さを消すためにはね......」とつぶやきながら。

 オスカー・ワイルドは、「良いアドバイスを聞いたら誰かに教えるだけでいい。自分には役に立たないから」と言った。東京の人はこのアドバイスを忠実に実行し、まるで要らないお中元を誰かにあげるようにアドバイスを伝えていく。

 人間が吸収できるアドバイスはそう多くないし、実行できる分となればなおさらだ。持て余したアドバイスは誰かに教え、脳のメモリーから消去するしかない。

 一方で、アドバイスを聞くのは楽しくもある。民間の知恵のように良識的で、ちょっぴり意外で思いやりがある。誰かにアドバイスをもらうと、この巨大なポストモダンのメトロポリスで、もう迷子にならない気がする。そのとき私は小さな村に瞬間移動し、共同の井戸で水をくみながら生活の知恵を交わしている。

■いら立ちを快適さに変える術

 東京がますます大きくなり、生活のペースが速くなり絆が失われるにつれて、アドバイスの習慣は廃れていくようにも思える。しかしアドバイスは、日本文化に伝わる多くのことわざの原点でもある。 今の時代のアドバイスも、良識的なことわざに進化するかもしれない。「初心者は大手町で電車を乗り換えるな!」「竹下通りでは携帯電話をしっかり握って!」──未来の東京人はくすりと笑いながら、その真意を理解する。

 東京の生活には快適さもたくさんあるが、いら立ちもたくさんある。アドバイスはいら立ちを快適さに変えてくれる。アドバイスとは愛情であり、時間の節約術。東京にはそのどちらも少な過ぎるから、時々受ける分にはありがたい。この街で暮らすには助言と励まし、時には友情の籠もった警告が必要だから。

 そのうちアドバイスに関する携帯電話のアプリケーションができて、「完全版・東京アドバイス」といった巨大サイトも登場するだろう。

 最後に私から1つアドバイスを。アドバイスを人から人へ伝えよう──私に回ってくる分はほどほどでいいのだが。