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オレニフカ収容所の「爆発」で死亡した多くのウクライナ人捕虜を悼む人たち(首都キーウで、昨年9月) OLEKSANDR KHOMENKO-NURPHOTO/GETTY IMAGES

情報の遮断で追い詰められる

短い通話中に、彼女の夫は外界の情報も知りたがった。

「国内のほかの地域はどうなっているか。援軍はいつ来るのか。NATOは助けに来てくれるのか。トルコがマリウポリに補給船を出す気配はあるのか。国際社会は自分たちが脱出するための回廊を確保してくれるのかと」

夫婦が最後に電話で話したのは3月26日。アルトゥールは4月4日に敵の捕虜となった。

「その後、夫から手紙が2通届いた。どちらも5月の日付で、8月後半に届いた。『食事は取れている』と書いてあったが、そう書かされたに決まっている。帰還した人たちはみんな、げっそり痩せていたから」

「飢えさせる。それがロシアの武器」と彼女は言った。しかし心理的なストレスも武器となる。

501大隊で捕虜になった265人のうち、解放されたのは取材時点でわずか17人。アナスタシアによれば、「みんな国内の状況を知らされていなかった。ウクライナなんて国はもはや存在しない、誰も助けには来ないと、常に言われていた。家族の様子を知るすべもなかった」。

アゾフスターリ製鉄所で5月に捕虜となり、11月に解放されたドミトロは、そういう心理的ストレスがもたらす悲惨な結果を熟知している。

時にはウクライナに残る家族が信じたくないことも起きる。

「必ずしも全員が捕虜交換(による解放)を望むわけじゃない。中にはロシアが正しいと言い出す者もいた。ロシアは捕虜から志願兵を集め、部隊を編成して前線に送り出すこともできた」とドミトロは言う。

「仲間のほとんどは拷問に耐えた。でも、全員ではなかった」

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