数年前に総務省が行った18歳選挙権に関する意識調査(男女3000人)では、選挙の情報収集について「インターネットのニュースサイト」や「街頭演説」よりも、「テレビのニュースや報道番組」「政党や候補者のポスター」と回答した割合が高かった。
ここもやはり若い世代の関心向上という課題において視覚的手段が、伝える言語によるメッセージ性の影響力よりも高いことがうかがえる。ちなみに同調査の別の質問では、投票に行かなかった理由として「選挙にあまり関心がなかったから」の割合が高かった。
そもそも私たちは何かに関心を向けると、認知力とその効果が高まる。そして、注意力や集中力を結集することによって、周りで起きていることに気づかないことがある。同様に、有権者が候補者や政党が発するメッセージ(情報)を認知するためには、集中的にその情報に注意を向ける必要があるようだ。
処理する情報が複雑で難解であればあるほど、より多くの注意力や集中力、認知的労力が必要になり、それ以外の情報に注意を向けることは困難となる。そのため、候補者や政党が真剣に訴えようとしている内容やメッセージを理解するのを途中で放棄してしまうことが多い。
「人たらし」の不在
このような言語の認知システムの特徴を考えると、人間の言語的情報処理や解釈は自分にとって価値のあるものしか選択しないことに気づく。つまり注意を向けるなら、それなりの効果や見返りが欲しくなるのは人間の認知システムの本質である。そして、その注意を引く認知的効果次第で投票への関心が高まったり下がったりする。
複雑な構造のようで、極めてシンプルな話である。自分にとって身近で期待できる言葉にこそ価値を見出すこと、それが人間の求める情報と言葉の関係である。
リーダーとして武将や部下からも信頼の厚かった豊臣秀吉の魅力について、司馬遼太郎はこう記している。「人たらしの天才」と。人とのボーダーレスの力を秘めたこの「人たらし」という資質こそ日本のリーダーの強みのはずであるが、今のこの時世では類稀なる資質であろう。

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