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マーティン・スコセッシが手掛けたライブ映画のプレミアにそろったメンバー(08年) LUCAS JACKSONーREUTERS

65年、全米・全英チャート1位を獲得した最初のシングルであり、初のストーンズらしい曲「サティスファクション」でバンドが真の意味で本物になったとき、原動力になったのはワッツだった。その後に続いたヒット曲「一人ぼっちの世界」や「黒くぬれ!」でのドラムは、推進力と動きに満ちた音楽的エネルギーの目もくらむ饗宴だ。

60年代半ばのストーンズの曲の多くは、当時のマネジャーだったアンドルー・オールダムのぎこちないプロデュースの産物だが、結果として生まれた混沌状態の音が独特の力をもたらしている。

後の「ガレージバンド」と比べると、ストーンズは既にずっと完成されていたが、その音はガレージで演奏しているかのようだ。ストーンズという存在は、新たな種類の音楽的想像力を生む力になった。

メンバーの麻薬問題などのトラブル続きだった67年、バンドはオールダムと決別し、アメリカ人プロデューサーのジミー・ミラーを雇った。前任者よりはるかに有能だったミラーは、重要なことにドラマーでもあった。

バンドの芸術頂点だった時代

ミラーが初めてプロデュースした曲で、ストーンズを復活させた68年のシングル「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」、さらにアルバム『ベガーズ・バンケット』(68年)から『メイン・ストリートのならず者』(72年)までの一連の作品は、バンドの芸術的頂点であり続けている。

ワッツがミュージシャンとして開花したのは、ストーンズのほかのメンバーと同じく、このミラー時代のことだ。

「ストリート・ファイティング・マン」(68年)の世界レベルのバックビートは、堅固で自信にあふれている。「悪魔を憐れむ歌」(同年)での演奏は生気とほのめかしに満ちた名人芸。「レット・イット・ブリード」(69年)冒頭のスネアは、録音で聞けるどんな演奏より素晴らしい。

この頃のストーンズには、あり得なくて理解し難い何かがある。既に半世紀が過ぎた今も、68~72年当時の作品を聴くと、筆者はしばしば「いいかげん、失敗したっていいだろう!」と叫びたくなる。

その間を通じて、ワッツはバンドの「重心」であり続けた。『スティッキー・フィンガーズ』(71年)の収録曲のいくつかは、あまりに深みがあって野心的で、それまでのストーンズには不可能なはずの作品だった。それが1つにまとまっているのは、ワッツが重心の役割を完璧に果たしているからにほかならない。

あまりに美しいプレー
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