「自分の家はおかしい」と気づいていなかった

東大生になっても母の束縛はとけず、ゴミ屋敷から学校に通った。

しかし、そんな状態になってもまだ、具体的に自分の現状を把握することができなかったという。

「大学から家が近かったので友達と歩いて帰ることがありました。友達に『トイレ貸してくれない?』って言われたことが何回かあったんですけど、家には上げられませんでした。

ただ当時の私は『家が汚部屋だから上げられない』と思ってるわけではないんです。抽象的になんとなく『人を家に上げてはいけない』気がする、というような感じでした。具体的に『自分の家はおかしい!!』とは気づいていませんでした」

大学生になっても、母親の人間関係のチェックは続いた。少しクラスメイトの話をするだけで、

「育ちが悪そう。その子と結婚しちゃダメよ!!」

などと注意をした。

「携帯電話や手帳は勝手に見られていたので、スケジュールや人間関係は親に筒抜けでした。

結局母親が交際してもいいっていう男性はいませんでした。母親世代にとってどれほど"高スペック"な男性でもダメだったので、誰であろうとダメだったでしょうね」

働きだして少しずつ自分を客観視するように

『汚部屋そだちの東大生』では大学を卒業すると同時に家を出たことになっているが、実際には就職後も家は出られなかったという。

「就職先は今も働いている出版社を選びました。理由は本が好きだったからですね。就職に関しては親とたまたま意見があったので、あまりもめませんでした」

会社は、当たり前だが家よりも清潔だった。机と椅子があり、給湯器があっていつでも温かいお茶も飲める。

「『快適だ!!』って思って、朝早く会社に行って、残業してから帰りました。出張も積極的に行きました。家ではボコボコのところで身体を折り曲げて寝てましたから。『ホテルのベッドはなんて平らで寝やすいんだ!!』って感動しました」

汚部屋に住んでいる弊害も出た。

脱いだ服をそのまま地べたに置いて

「服、落ちてるよ?」

と言われることもあった。ハミ山さんにとって、地面に服を置くことはごく自然なことだったのだ。

「机の周りもすぐに散らかっちゃうんですね。書類もすぐになくしてしまう。

『みんなできているのに、なんで整頓できないんだろう?』

って考えてみて、

『そうか、そもそもやったことがないからか』

と気づきました」

ハミ山さんは給料をすべてそっくり母親に渡していた。学生時代にアルバイトしていたときからずっとそうだったし、母親にお金を渡すことにハミ山さんはなんの疑問も持っていなかった。

「自分がいくら稼いでいるのかすらまったく知りませんでした。はじめて違和感を持ったのは、初任給が出たときでした。新入社員たちがみんなで

『初任給が出たら何買う?』

みたいな話をしてました。それを聞いて

『初任給で買い物するってどういうことだろう?』

と思っていました」

ある日、大学時代の先輩に

「給料は貯金するつもり?」

と聞かれた。ハミ山さんは、

「いえ、お金のことは親にまかせているので......」

と答えると、先輩は顔を曇らせ

「え? それは気持ち悪いよ」

と言った。

「先輩もかつて親子関係に問題を抱えていた人だったので、"変さ"に気がついたみたいでした。そんなふうにいろいろな人のおかげで、少しずつ自分のことを客観視できるようになってきました」

しかしそれでもハミ山さんは具体的に家を出ようとは思っていなかった。

ついに家を借りて独立