本作でボラットは、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を否定するフェイスブックのページを見てショックを受ける。だがそれは、祖国の最も誇るべき功績がなかったことにされてしまったからだ。そこで彼は自分の思う「典型的なユダヤ人」の姿に扮してシナゴーグに向かう。長い付け鼻をし、片手にはカネが詰まった袋、もう一方の手には「メディア」と書いた札を下げた操り人形を持って──。

だがそこで出会った年配のユダヤ人女性たちは、差別意識丸出しのボラットに怒ることもなく優しく語り掛けてくる。そのうちの1人ジュディス・ディム・エバンスはホロコーストの生き残りで、ボラットにホロコーストは実際にあったと教える。

映画の最後を見れば分かるとおり、この映画はエバンスにささげられている。だがこの場面をめぐってはエバンスの親族から「ホロコーストとユダヤ文化を嘲笑している」として訴訟も起こされている。ばかげた思い込みや差別感情をとことんばかげたものとして描くバロン・コーエンの手法の難しさが伝わる話だ。

そもそも、悪魔信仰や子供の人身売買をやっている勢力が実在し、彼らに最も勇敢に立ち向かっているのがトランプだ、と信じる人々がイメージする「世界」よりもばかばかしい世界観を作り出すなんて、まず不可能。そこでバロン・コーエンは正面から向き合うのではなく、ボラットと人々の心の触れ合いをちらりと見せる。

バロン・コーエン流のドッキリコメディーを今の現実世界で作るのは容易ではない。何せトランプの顧問弁護士で元ニューヨーク市長のルディ・ジュリアーニが、新型コロナウイルスの拡散は中国の陰謀だと言い出す世界だ。隠された本音を引き出すはずが、政治家たちは普段から言いたい放題、支持者もそれを軽く笑い飛ばしている。

本作最大の見どころは、ボラットの外見に惑わされず、一人の人間として彼と触れ合おうとするアメリカ人との出会いだろう。なんちゃってドキュメンタリーであるはずの本作が、本物のドキュメンタリーに変わる瞬間だ。

©2020 The Slate Group

<2020年11月17日号掲載>

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