これは『コール・オブ・デューティー』なのか──。先日、米ホワイトハウスが投稿したイランへのミサイル攻撃動画は、X(旧ツイッター)で再生回数が数千万回に達した。その内容は、人気の戦争シューティングゲームに似ているどころではない。「連続キル」など、同作の実際のゲーム映像が交じっていた。

■【動画】『コール・オブ・デューティー』の映像を使用したホワイトハウスによるイラン攻撃の映像

ビデオゲームやオンラインのミーム的な視覚言語で戦争を伝える米政府の動きは強まる一方だ。それにより暴力が矮小化されるだけでなく、苦しみへの反応が麻痺し、犠牲者を悼むことがより困難になっている。

これは、まさに戦略だ。暴力をどう解釈させるか、「死」として認識させるのは誰の死かを、気付かぬうちに決めてしまう。

ピート・ヘグセス米国防長官は、アメリカとイスラエルのイラン爆撃で始まった「エピック・フューリー(壮大な怒り)」作戦を堂々と称賛している。軍に関する情報発信は、もはや好戦主義と同義だ。

今回のホワイトハウスの投稿事例は例外的ではない。ソーシャルメディアでは、照準線が表示されたドローン(無人機)攻撃の映像や爆発場面に音楽を載せた、ゲームやミームのような動画が拡散している。昨年、米国土安全保障省が公開した移民関税執行局(ICE)の強制捜査の動画には、アニメ『ポケモン』の主題歌と映像が(無断で)使われていた。

ICEの強制捜査の動画に『ポケモン』の主題歌が
ICEの強制捜査の動画に『ポケモン』の主題歌が TIM EVANS-REUTERS

だがコンテンツをミーム化する要素こそが、背後にある現実を平板化させる。重要な意味を持つ前後関係は多くの場合、消失する。標的は誰だったのか。民間人は被害を受けたのか。合法的な攻撃だったのか。20秒間ほどの動画が、こうした疑問に向き合うことはほとんどない。

戦争の視覚言語は純粋ではあり得ず、持つべき感情を視聴者に常に指示している。だが政府が意図的に、現実の軍事作戦をゲーム的に表現する場合、問題は極めて大きい。行為の「結果」が伝わらないからだ。

ベトナム戦争などの戦場の模様を即座に伝えた「CNN効果」

ミーム文化は問題に拍車をかける。皮肉やユーモアはそもそも悲嘆にあらがう手段で、現実から距離を取る機能を持つ。暴力がジョークやハイライト動画として拡散すれば、暴力の感情的な現実に近づくのは難しい。

ベトナム戦争やソマリア内戦の戦場の模様を、即座に伝えるいわゆる「CNN効果」の前提には、身近さの感覚が存在した。苦しみを捉えた映像は遠くの戦争を自宅の居間に引き寄せ、政府に対する倫理的圧力を生み出した。不完全で選択的な報道でも、根底には「見ること」は「感じること」で、感じることは説明責任につながるという論理があった。カメラは対象を追い続け、死者には名前があり、視聴者は見たことを記憶に焼き付ける時間があった。

ソーシャルメディア以前に、そうしたモデルは既に崩壊していた。転機になったのは1991年の湾岸戦争だ。あの独特の緑の画面の中で、攻撃対象は抽象的な形状に化した。姿を消した遺体に代わって、技術的正確性を約束する「スマート爆弾」などのイメージが現れた。その結果、軍事攻撃の被害や影響ではなく、軍事テクノロジーに注目するよう視聴者は訓練されたと、米批評家の故スーザン・ソンタグは指摘していた。

米哲学者ジュディス・バトラーは、悲嘆や追悼に値する命だと認識される条件は「哀悼可能性」だと著作で述べている。死は全て等しく哀悼されるのではない。ある人々の死は、文化や政治によって倫理的懸念の枠外に置かれる。

ホワイトハウスの視覚の文法は人間をゲームのアバターにする。アバターは本質的に「哀悼可能」ではなく、単なる「キル」の対象だ。

イラン戦争が開始された2月28日、米軍のミサイル攻撃を受けたイラン南部ミナブの女子小学校では、児童160人以上が死亡した。だがホワイトハウスの動画は、犠牲者の少女たちを取り上げようともしない。

真剣な公共の議論に不可欠な感情の反応が失われる

小学校への攻撃について、ドナルド・トランプ米大統領は、イラン側のミサイル攻撃だった可能性があると根拠もなく示唆し、こう言った。「十分な情報がない。何が報道されようと、それはそれで構わない」

既に昨年、ヘグセスは国防総省の民間人保護部門を縮小・解体している。軍事作戦の国際法遵守を担う法律顧問は「障害」として解雇された。

民主主義に基づく戦争の監視は情報だけでなく、倫理的反応に懸かっている。つまり、無視してはならないことが起きていると感じる能力だ。

ミームは拡散を続け、政府はデジタル空間で注目を争い続けるだろう。出発点になるのは、何が危険にさらされているかを認識することだ。問題は前後関係の欠落だけではない。政府が展開する視覚の文法が、真剣な公共の議論に不可欠な感情の反応を積極的に取り除いていることだ。

国防総省の元上級政策アナリストで民間人被害防止に携わったウェス・J・ブライアントは、現状について端的に指摘する。「少なくとも第2次大戦以来、国際社会が確立に努めてきたルールや規範からの離反が起きている。説明責任は皆無だ」

ユーザー側も、立ち止まって考えることを学ぶべきだ。何が起きたかだけではない。どんな形の表現のせいで感情が妨げられているのか。誰に対する感情が阻害されているのか。これらの問いを真剣に受け止めることから、説明責任が始まる。

ハイライト動画として体験するものではなく、喪失や不確実性、哀悼、不可逆的な破壊として経験されるもの──そうした戦争理解を回復することは、メディア・リテラシーの問題ではない。倫理の問題だ。

The Conversation

Daniel Baldino, Senior Lecturer in Politics and International Relations, University of Notre Dame Australia

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

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