「月へ戻るまでに、なんでこんなに時間がかかるの?」

今年1月、アメリカの首都ワシントンにある国立航空宇宙博物館で見学者を案内していたとき、そう聞かれた。いい質問だと、同博物館の学芸員である私は思った。

あのアポロ計画でNASAが初めて人類を月面に立たせたのは50年以上も前のこと。しかも(別の見学者が正しく指摘したとおり)当時に比べたら、コンピューターは格段に進歩している。だったら、月に行くのもずっと簡単じゃない?

そう思われるのも無理はないが、残念。人を宇宙へ送り出すのは今もすごく難しい仕事であり、一方で宇宙飛行士に課される任務は当時より格段に複雑になっている。

4月1日、NASAは4人の宇宙飛行士を乗せた大型ロケットの打ち上げに成功した。「アルテミス2」計画の一環で、目的は月をぐるりと回って無事に地球へ帰還すること。その過程で得られた膨大なデータや技術をベースに、「アルテミス4」で念願の月面着陸を目指すことになる。

思えば、ここまでの道のりは長く、山あり谷ありだった。夢が大きいほど、その実現には多くの困難が伴う。

そもそも新しい技術を開発し、その安全性を確認するには何年もかかる。ひとたび認証を得ても、いざ飛ばしてみれば想定外の問題が生じたりする。ボーイングの宇宙船スターライナーではシステム上の、アルテミス1の宇宙船オリオンでは耐熱シールドの問題が生じた。

スターライナーは国際宇宙ステーション(ISS)に宇宙飛行士を送り届けたが、推進システムに不具合が生じて無人での帰還を強いられた。オリオンで見つかった耐熱シールドの剝離は、アルテミス2に大気圏再突入の軌道の見直しを迫った。

一貫した政治的意思と資金面の支援も欠かせない。大統領が代わり、議会の構成が変わっても生き延びられる計画が必要になる。

アポロ計画では1969年に2度、月面着陸に成功した。しかし70年代に入ると、時のニクソン政権は別の政策課題を優先するためにNASAの予算を削ろうとした。そのためNASAは予定していた3回の飛行計画を断念し、代わりに地球周回軌道における長期の有人活動の実現に資金を振り向けた。

そしてアポロ計画で用いたサターンVロケットの第3段を改造し、アメリカ初の宇宙ステーションといえる居住可能な宇宙実験室「スカイラブ」を建造した。これは73~74年に運用された。宇宙飛行士を運ぶためにはサターンIBロケットとアポロ計画時代の司令船が用いられた。

その後の30年はスペースシャトルの時代だった。そのミッションでは地球周回軌道に最長17日間も滞在し、人工衛星の投入や微小重力環境の研究に当たった。地上の人々に役立つ研究もした。タンパク質の結晶生成実験などで、これは新薬の開発に役立った。

98年以降、スペースシャトルは地球周回軌道に浮かぶISSの組み立てや維持管理、そして滞在する乗員の輸送に活躍した。

探査機オリオン
22年11月に「アルテミス1」で用いられた探査機オリオン NASA

地球周回からの脱出

しかし時の大統領ビル・クリントンは、来たるべき21世紀にふさわしい新たな宇宙開発のビジョンを求めていた。ISSは文字どおり軌道に乗った。ならば次は何か?

NASAは既に答えを用意していた。当時の長官ダニエル・ゴールディンは01年の政権交代に備えて、再び人類を月へ送る構想を温めていた。そして99年、21世紀にふさわしい宇宙探査に必要な技術や計画を練るための研究チームを結成した。

03年2月にはスペースシャトル「コロンビア」が大気圏再突入時に空中分解し、乗員7人全員が死亡する事故が起きた。当時の大統領は共和党のジョージ・W・ブッシュ。有人宇宙飛行を続けるか否か。続けるとしたら、次は何を目指すのか。みんな頭を抱えていた。

さまざまな議論を経て、ブッシュ政権は04年に新たな「宇宙探査ビジョン」を策定した。そこではISSを早期に完成させ、その後にスペースシャトルを退役させることが明示される一方、新たな有人探査機を開発し、人類を再び月へ送り込むことも提唱された。

これを受けてNASAは同年12月、有人探査機の製造業者選定プロセスを開始。06年8月にはロッキード・マーティン社と契約を結んだ。新たな有人探査機は「オリオン」と命名された。

それから有人探査機だけでなく、その打ち上げに使われるロケット「アレスI」や貨物打ち上げロケット「アレスV」の開発と試験が始まった。いわゆる「コンステレーション(星座)計画」だ。

この計画には2つの目的があった。短期的には、スペースシャトルに代わってISSへ乗員を送り届けること。長期的には、再び人類を月面に立たせることだ。

地球を周回する任務にも月まで飛ぶ任務にも使える汎用システムなら、開発コストも時間も節約できると考えられた。スペースシャトルのハードウエアを活用してコストを削る構想もあった。

しかし09年には民主党のバラク・オバマが大統領に就任し、第三者委員会を設置して前政権時代の有人宇宙飛行計画の検証に着手した。

結果、現状の予算では目標を達成できず、オリオンの初飛行前にISSの運用が終わってしまう可能性が高いと判明。そこで委員会は、ISSの完成を優先する一方、有人月面探査にも毎年30億ドルを投じてはどうかと提言した。

スペースシャトル
スペースシャトルは30年にわたり活躍した(98年12月) NASA

技術と政治と資金の調和

結局、オバマ政権はコンステレーション計画の中止を決めた。しかし予算を削減されたら困る州から選出された上院議員たちの働きかけもあって、同計画の主要技術2つは生き残った。有人探査機オリオンと、その打ち上げに必要な大型ロケット(アレスVの技術を継承)の開発だ。

その代わり、NASAはISSへの乗員輸送という日常的な業務を切り離し、乗員輸送を新興の民間ロケット会社(とロシア)に委ねることになった。この選択には、もちろん政治的な思惑もあった。NASAの発注する仕事に依存する企業は各地にあり、下院議員の多くは自分の選挙区内での継続的な雇用確保を最優先にしているからだ。

14年12月には、大型ロケット「デルタIV」でオリオンの初号機が打ち上げられた。無人のテスト飛行だったが、運航システムや耐熱シールドに関する貴重なデータが得られた。そして15年10月までには最終的な技術評価をクリアし、いよいよ実機の製造に踏み込むことになった。

17年にはドナルド・トランプ政権が発足。同年12月にはNASAに、月への有人飛行再開を優先するよう命じた。

これを受けて、NASAは「24年までの月面着陸」という目標の達成に向けて本格的に動き出した。「アルテミス」計画という名称が採用されたのは19年5月のことだ。

22年11月には25日間にわたる「アルテミス1」のミッションが実施された。新たに開発された大型ロケットで、探査機オリオンを宇宙まで運んだ。無人での飛行だったが、このとき得られたデータとノウハウが「アルテミス2」での有人飛行につながった。

半世紀以上にわたり、歴代のアメリカ大統領はそれぞれの優先課題に合わせて宇宙開発の位置付けを見直し、人類を再び月面へ送り込みたいNASAの意向を時に後押しし、時にブレーキをかけてきた。

技術と政治、そして資金。この3つがそろってこそ有人の宇宙飛行は可能になる。4月1日の打ち上げを見守った宇宙ファンには、あのカウントダウンがひどく長く感じられたことだろう。でもNASAが歩んできた苦難の旅路に比べたら、ほんの一瞬だ。

The Conversation

Emily A. Margolis, Curator of Contemporary Spaceflight, National Air and Space Museum, Smithsonian Institution

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

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