自分の創造物が200年の間どのように扱われてきたかにも、あまり満足していないようだ。ポップカルチャーのネタにされ、シリアルのマスコットになり、無断で大量のスピンオフが作られ、あからさまに搾取されてきた。

だから彼女は白黒の冥界から、カメラを見据えて宣言する。自分が始めたことを終わらせるために戻ってきた、自分を縛り付けるものがなければやりたかったように終わらせる、と。まさに束縛を解かれたフランケンシュタインだ。

ギレンホールの「自画像」

とはいえ、自分の創作を修正しようとするシェリーに、ギレンホールが自分を重ねているという見方は少々考えすぎだろう。脚本も手がけたギレンホールが、シェリーの作品を完全に理解しているとは伝わってこない。

もっとも、この作品は文学の救済ではない。古典的なギャング映画と、パンクロックと、ボニー&クライドに敬意を表して銃を撃ちまくるオマージュなのだ。

ギレンホールはシェリーの作品の細かい伏線を拾うのではなく、自分の考えるシェリーの熱情に沿って演出している。シェリーが果敢に挑戦して怪奇小説の金字塔を書き上げたように、『ザ・ブライド!』も果敢に攻める。俳優陣の大げさなしぐさも、冷笑されることなど恐れていない。

何回も「ミー・トゥー(私も)!」と絶叫