つまり一方では、現代社会で最も不適切とされる言葉(いわゆる「nワード」)が叫ばれ、他方では、彼を有名にした数十年前のドキュメンタリーのタイトルのとおり「彼にはどうにもできない」という事情がある。
だからデビッドソンには同情と理解を示してもいいだろう。おそらく彼は全部で10回くらい言葉を発していたが、大きな問題を引き起こしたのはそのうちの1回だけだった。
重要なのは、こうした暴言が、本人のひそかな本音や内に秘めた偏見の暴露というわけではない、とされている点だ。この症状の人々は、不適切な言葉だと理解していながら、それを思わず口にしてしまう。精神的なフィルターが働かないため、「〇〇なんて言ったら大変なことになるぞ」と思った瞬間に、脳の不具合によって実際に言葉にしてしまうのだ。
BBCはリベラルな価値観の旗手であり、自らをプロフェッショナリズムの模範と称している。さらに生放送ですらなかった(放送まで2時間の猶予があった)ことを考えると、今回の件は体裁が悪い。BBCはミスを認めており、言い訳するとしたら単に無能だったからと言うしかない。
「リベラルへの風刺劇」と呼ばれる状況は、この事件後に起こった数々の議論にも表れている。こういう事態が起こることは予想できたのだから、そもそもデビッドソンを出席させるべきだったのか、という問題だ。
事情を考慮するなら観客席ではなく離れた別室から参加すべきだったのでは、という意見もあった。しかしそれでは、現代イギリスの重要な原則である「インクルージョン(包摂性)」に反する。
だから彼自身が自主的に参加を控えるという手もあったのかもしれないが、それでは結局、障害者は自ら身を潜めて当然とされていた時代の考え方と同じにならないだろうか。