さらにジョーダンはこう言った。

「他にも援助団体はあるし、リカーンは決して有名ではない。そのへんの道で聞いても知らない人はたくさんいるだろう」

熱き男ジョーダンはそれ以上ないほど身を乗り出す。


「だけど、スラムで彼らを知らない者はいない。ここが重要なんだ。困窮した人々に絶対的な信頼がある」

彼の視点は明確で、事の奥まで見ていた。

「我々は彼らと共に進むんだよ」

さて、インタビューの最後に、谷口さんがこう聞いた。

「ジョーダンはどうしてMSFを選んだの?」

するとジョーダン・ワイリーは答えた。


「自分が何をしたいのか、ここにいるとそれがわかる」

抽象的に見えるが、人生にとってそれほど具体的に満足いくことがあろうか。事実、ジョーダンからは常にみなぎる何かが感じられる。

その人ジェームス・ムタリア

一方、かつてのジョーダン少年が人道援助に向かいたかったアフリカから、巨体ジェームス・ムタリアは来ているのだった。俺たちはいったん廊下へ出て、同じ階にある彼の部屋に行った。

インタビューを始めようとすると、ジェームスは恥ずかしそうに短髪の頭をなでる。しかし質問をすると落ち着いた小さな声で的確に話すのもジェームスの特徴だ。

彼はもともとケニアで国際企業にいたが、2005年MSFの国内医療スタッフになった。医師と看護師の中間で、日本にはない準医師という職種だそうだった。

なにしろ恥ずかしがり屋なので自分からはあまりつまびらかにしないが、彼は医療援助に強い興味を持ったのだろうと思う。頭脳明晰な彼ならば企業の中にいても成功したはずなのだ。実際、MSFから始まってUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)、他のNGOのマネージャーを務め、2010年にMSFに戻っている。

スーダンは北ダルフールで9か月プロジェクト・コーディネーターをし、翌年からジンバブエでHIV/エイズ結核プロジェクトに参加、2013年にはインドでやはり同様のミッションを行いながらC型肝炎や性暴力被害から人々を救う活動を行い、おそらくその経歴から2015年パキスタンでのリプロダクティブ・ヘルス、子供の栄養失調に関する活動に転ずる。

弱い立場の人々に関わっている