彼らは俺だ

 すると、そこに美しい長衣をまとった女性が青を基調とした派手なヒジャブを頭にかぶって、これまた身なりのきれいな子供と共にゆったり歩いてきた。どう見ても中流以上の暮らしをしてきた人だった。しかも、移動の苦難を経てもなお、身だしなみを変えずにいるプライドを彼女は持っていた。

 尊厳それ自体が歩いてくるように感じた。

 まさに前回書いた「敬意」を自動的に持つ以外ない、それは悠々たる姿であった。

【前回記事】難民キャンプで暮らす人々への敬意について

 それで俺はさらに気づいたのだった。

 彼ら難民が俺たちとなんの違いもないことに。

 通常、難民と聞くと俺たちはまず経済難民を想像してしまう。貧しいがゆえに活路を他に求め、国を渡ってくる人々だ。むろん彼らも支えられるべきなのだが(ほとんどの場合、彼らの貧困には彼ら自身なんの責任もないのだから)、俺がその時目の前にしていたのは戦乱、紛争で理不尽にも家を爆撃され、街を焼かれ、銃で追い立てられた人々なのだった。

 もし日本が国際紛争に巻き込まれ、東京が戦火に包まれれば、とすぐに想像は頭に浮かんだ。

 明日、俺が彼らのようになっても不思議ではないのだ。

 だからこそ、MSFのスタッフは彼らを大切にするのだとわかった気がした。スタッフの持つ深い「敬意」は「たまたま彼らだった私」の苦難へ頭(こうべ)を垂れる態度だったのである。

 青い衣を風になびかせて自分の前を通りゆく女性を視界に入れた俺の脳裏に、「同情」という言葉が続いて浮かんできた。

 いかにも安っぽい感情として禁じられがちな「同情」。しかしギリシャにいる俺の頭には、それは同時に「compassion」という単語にもなった。気持ちを同じくすること。思いやり。

 なるほどそれは「たまたま彼らだった私」への想像なのだった。上から下へ与えるようなものではない。きわめて水平的に、まるで他者を自己として見るような態度だ。


 それは心の自己免疫疾患かもしれなかった。他人を自分としてとらえ、自分を他人としてしまうのだから。

 けれどその思考は病いではないはずだった。

 むしろ「たまたま彼らだった私」「たまたま私であった彼ら」という観点こそが、人間という集団をここまで生かしてきたのだ、と俺は思った。あるいは「彼ら」を植物や動物や鉱物や水と置き換えれば、それはインドでは輪廻転生になる。私は前世鹿やコケであったかもしれないという考えが、「たまたま私だった彼ら」「たまたま彼らだった私」という倫理を生む。また、自分のエゴで自然を脅かすべきではないと考えるエコロジーも、こうして俺たちの心の自己免疫疾患から生じているのに違いなかった。

 偉大なる「compassion」から。

 女性と子供がプレハブに入ってしまうと、あたりはまた静けさに支配された。俺は変わらず椅子に座り、気づきを言語化するのに混乱しながらしばらく時間を過ごした。


 時間と空間さえずれていれば、難民は俺であり、俺は難民なのだった。

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