anno_profile3.jpg チームみらい党首・参議院議員
安野貴博(あんの・たかひろ)
1990年東京生まれ。開成中学校・高等学校。東京大学工学部システム創成学科卒業。大学時代は松尾豊研究室に所属し、AIや機械学習を学ぶ。ボストン・コンサルティング・グループでの勤務を経て、株式会社BEDORE代表取締役、MNTSQ株式会社共同創業者、東京都政策連携団体の一つである一般財団法人GovTech東京のアドバイザー等を歴任。2024年に都知事選に出馬して注目を集める。25年に政治団体「チームみらい」を立ち上げ、第27回参議院議員通常選挙で全国比例区から初当選した。

 早く友達を作るために媚びるとかの方向には進まず、色々な状況に対応できる力がついたんですね。

安野 小学生でも、カルチャーはその学校ごとに全然違うんですよね。

 地域どころか、学校ごと、クラスごとに違ったりしますね。

安野 そうなんです。私の1つ目の小学校は、神奈川県の川崎市にありました。2つ目は大阪府の吹田市で、3つ目は千葉県の幕張地区でした。この3つは全部、(通っていた)学年も違いますし、カルチャーも全然違っていました。やっぱり大阪の小学校って、「おもろいやつが勝ち」みたいなところがあるじゃないですか。

 頭がいいだけではダメだって言いますよね。

安野 大阪では「なんでやねん」みたいな感じでどつくのは普通のコミュニケーションでした。でも、千葉の小学校に転校して、初日に面白いことを言った人がいたので「なんでやねん」とバシンと突っ込んだら、「この人、叩いた」となってしまいました。

「転校生が初日に叩き始める」と問題になったことで、「やっぱり、(カルチャーが)違うんだな。人間、色々あるんだな」と思いました。

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安野氏と筆者 ニューズウィーク日本版-YouTube

人生の転機となった3つの決断

 安野さんご自身の「はじめる力」について伺いたいのですが、今までの人生で「これを始めたから転機となった」「このことが自分の礎となった」と思う決断を3つ挙げるとしたら何になりますか。

安野 1つ目は、大学時代に休学してサンフランシスコに9~10カ月くらいインターンに行ったことです。サンフランシスコやシリコンバレーは、当時からスタートアップがどんどん大きくなっていくようなエコシステムがあるところでした。その考え方を大学生の時に体感できたのは良かったと思っています。

2つ目は、大学時代にウェブサービスを作って周りの人に使ってもらったことが、原体験としてすごく良かったと思っています。何をやったかと言うと、授業の情報を共有するSNS、つまり学内SNSみたいなものを作りました。

 確か、その件で大学の学務だか教務だかに呼び出されて怒られたと伺っています(笑)。

安野 そうなんです。「シラバスの著作権データが...」などと言われて怒られたんです。でも「こういうふうに人は(このサービスを)使うのではないかな」と思っていたら実際にそのように使われ、何人かの人には「あのサービスのおかげで留年を回避できたよ」と感謝されました。

 もう少し詳しく教えてください。SNSに「この講義は単位が取りやすい」とか「こうやれば点が取れる」というようなコツが書いてあるんですか?

安野 授業の情報なのですが、「授業の時間割を共有する」「その時間割とツイッターのアカウントを紐付ける」「授業に関連するプリント類などのファイルをアップロードできる」という3点が特徴でした。

 なるほど。ウェブ上にこっそりと授業の資料置き場を作って共有するというようなことは私の学科でもやっていましたが、それをもっと誰でも使えて取り出せるようにしたんですね。

安野 友達がいなくても、この授業のプリントが溜まる場所があるっていう状況を作れたっていうことなんです。東大の1年生は、ご存じの通り教養学部って言って、クラスとか学科とかに関係なく大量の授業があって自由に取れる環境じゃないですか。

 しかも、点数競争をしないと、3年次から好きな学科に行けないという。

安野 そういう状況で、自分が作ったプラットフォームが役に立ったということなのかなと思います。だから小規模な成功ですけれど、まあ今となっては成功なのかも分からないですけれど、1つの原体験だったと思います。

 3つ目はどんなものですか?

安野 スタートアップを自分で作ってみた時です。それは組織を作ってビジネスをする、資金を調達するというのはどういうことかなというのを一通り、ゼロイチフェーズではありますけれども、経験できたのは良かったと思います。

 もともと起業家を志して大学に入ったのですか。

安野 すごく興味はありました。

 それは、大手企業などに入るのでは何が飽き足らなかったんですか?

安野 飽き足りなかったというよりは、何か自分のプロダクトなりビジネスを作ってみたかったという気持ちが高校生くらいの時からありました。当時もシリコンバレーで新しいビジネス、例えばユーチューブなどがどんどん大きくなってきていたので、「こういう世界があるんだ、すごいな」と思って見ていました。

「ずっと同じことをやっている」
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