また、1995年から翌年にかけて、大竹は福武書店が発行する月刊文芸誌『海燕(かいえん)』からの依頼で、日本の地方の秘宝館やラブホテル、パチンコ店や街中に乱立する看板といったきわめて卑近な題材を描いた「日本景 / ZYAPAИORAMA」シリーズにも取り組んでいる。シリーズが発表された1995年は福武書店が「よく生きる」の意味をもつラテン語の造語であるベネッセに社名を変え、それを記念してヴェネツィア・ビエンナーレで国際交流基金との共催で展覧会を行うなど、海外展開への大きな一歩を踏み出した年である。グローバル化が進む一方で、ローカルに目を向けること、現代アート界と遠く離れた土地でアートをやることから生まれる発想を大事にすることが、大竹だけでなく、直島でも意識されるようになっていった。

そうしたローカルへの視点は、1998年に始まった「家プロジェクト」の背景にもあった。本プロジェクトで生まれたベネッセアートサイト直島と島民との関係性を踏まえ、過疎化と少子高齢化の問題に直面する離島から、何がスタンダードか、何が幸せなのかを問いかける価値の転換を図ろうとしたのが「スタンダード」展である。本展は、2001年に直島コンテンポラリーアートミュージアム(現・ベネッセハウス ミュージアム)の10周年企画として、ベネッセハウスの建物の中だけでなく宮ノ浦地区、三菱マテリアル地区、本村地区といった島全体の家や施設、路地を舞台に展開された。

この試みは、ある種、お祭りの側面を持つとともに、全国から参加した若者と中高年の島民がボランティアスタッフとして日常運営を担当、交流をもったことから、2010年の瀬戸内国際芸術祭発足の布石にもなった。

大竹は本展で、宮浦港の近くにある、2年前に閉店したばかりの、かつてフェリーの待ち時間に軒先でお酒を飲んだりするところでもあった酒屋・雑貨屋「落合商店」に残されていた雑貨類と自らの絵画や音を組み合わせ、時間の積み重なりそのものを作品とした。

「元からあるものを活かす」という考えは、《シップヤード・ワークス》の3作品でも見られたが、この作品は、そこに既に存在していたものとのコラボレーションであり、店全体を丸ごとその状態のまま展示することで、気配や空気感、音も含めた記憶を立ち上がらせる試みであった。

大竹は、この経験を通して、島での制作は、作家の想い以上に土地の記憶といったものに大きく影響されることを初めて実感したという。また、制作を通して、島の人が「こんなのがあったから使ってくれ」と材料を持ってきてくれるなど、自然に交流が生まれ、続く2006年の「直島スタンダード2」展では、恒久展示の家プロジェクト「はいしゃ」に取り組むことになる。その年、大竹は東京都現代美術館での初の大回顧展を控えており、オープンまで半年も時間がない時期に、初めて場所を見に訪れ、大個展の準備と並行してやるのは無理と断った後、帰りの電車内で構想が浮かび、一か八でやることにしたらしい。

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家プロジェクト「はいしゃ」 大竹伸朗《舌上夢/ボッコン覗》2007年(写真:鈴木研一)