DaiGo炎上記事で既に述べたことだが、あらゆる問題をフラットに、コンテンツ化してしまう「ディベート」は、生存権のような社会の譲れない価値を揺るがすことに繋がる。ひろゆき氏は、基地問題や医療費問題について「問題提起」することで、「建設的」な議論をしているつもりのようだが、露悪的な論点を不誠実なやり方で提示することは、全く「建設的」な議論とは呼べない。
DaiGoのホームレス差別は世間の批判を呼び、彼は謝罪することになった。しかしひろゆき氏は10月の一連の発言に関して、どれについても謝罪をしていない。これは極めて危険な兆候だ。こうした発言が許され、支持されてしまうなら、それは社会の底が抜けてしまったということだからだ。
だから私たちは、たとえ「問題提起」だろうと許されない発言はあるのだ、ということを、もう一度確認する必要があるのだ。