もちろん、いまや眞子内親王の夫となられる小室圭さんと、その母親が、「完全なる私人である」といえるかどうかは議論の分かれることであろう。古代・大和王権から続く天皇の娘との婚約者である小室一家には、漸次「身体検査」が必要であり、相応の品格が必要である、という気持ちも分かる。だが本当にそれは正であるのか。他者を糾弾できるだけの品格を自身は持っているのか。自らに問いただしてみたらよい。
当人が相思相愛であること以上に、眞子内親王と小室圭さんの婚姻を阻む要素は存在しない。繰り返すが、人様の恋路を論評することほど野暮なことは無い。なぜこれを素直に祝福しないのか。皇室にとっても慶事であることを祝福しないのは、不敬でありはしないのか。今一度よく自分自身を問うてみたらよろしい。
やたら引用される学生時代のモテ写真
小室圭さんを批判するネットユーザーの多くは、小室さんの母親の問題もさることながら、小室さんの学生時代の写真を引用することが多い。そこには、学習院時代に小室さんがクラブやら海の家やらで、やおら異性を囲んでピースサインをしているものが散見される。私もこの写真を見て、「畜生っ!小室というのはけしからんリア充であり、打倒すべき階級である。この小室が、眞子内親王をたぶらかしておるのだ!」と憤激した。しかし一時の激昂を過ぎると、小室さんの魂魄が判明してきた。
いうまでもないことだが、本当のリア充やナンパ師というものは、自分が異性と居る現場をアピールする写真を微温的に嫌う傾向がある。真のリア充は異性と一緒にいることが当たり前であるしアピールの必要性を持たぬ。また真のナンパ師はとりわけ自身が悪い意味で喧伝されることがナンパにとっての障害になると思っているからである。よってこうして堂々とスナップショットを撮られている小室さんというのは、実に善良な青年といえよう。真のリア充やナンパ師は、決してツイッターやフェイスブックに痕跡を残さない高度なステルス性を有する。つまり彼らは原子力潜水艦である。痕跡を残した時点でそれは工作の素人である。