つまり岩田氏は、河野太郎氏の政治信条は、父祖まで遡って連続している、としている。よって、河野太郎氏からみて、祖父に当たる河野一郎氏は親ソ反米であり、北方領土問題で妥協姿勢をとった(―河野一郎氏‥当時農相は、日ソ共同宣言に至る対ソ交渉にあたり、政府全権としてソ連と交渉した。その中で所謂北方領土問題について、歯舞・色丹の2島で決着を図ろうとした経緯があるとされる)こと、また父親である河野洋平氏が所謂河野談話をだしたこと。この血族背景があるから、三代目の河野太郎氏もダメであると言っているのである。

だが、現在明らかになっている河野一郎氏による対ソ交渉では、歯舞・色丹の引き渡しというソ連側の譲歩を最大限のものとして、それでもなお強硬にソ連と対決した河野一郎氏の実像が浮かび上がっている。


"ブルガーニン(*ソ連首相)の主張に対し、(河野)一郎は「今度は僕に言わせてもらいたい」と口火を切り、熱弁を振るって反論したという。「あなたが世界の平和に寄与しようという考えがあるならば、当面の漁業問題が一体なんであろうか。これくらいのことがソ連の総理大臣としてできないのか。それができないならば、あまり偉そうな議論はしない方がよい」(中略)一郎の奮闘ぶりは、外交官出身の松本(俊一)も認めるところであった。松本も回顧録で「領土問題に関するフルシチョフとの渡り合いは誠に見事であって、河野さんでなければ、あの成果はあげられなかったであろうと舌を巻いたしだいである」と記している。"

つまりは、河野一郎氏の対ソ妥協は、彼が親ソだったからではなく、当時それが日本外交に出来うる最大限界であった。この一郎氏の姿勢を仮に親ソと規定するなら、第二次安倍政権下の対露交渉について、四島一括返還の方針を封印し、二島返還に転換した安倍晋三氏も親ソ(親露)ということになる理屈だが、そこは無視されている。

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