安倍総理が辞意を表明して以降、保守派からはすわ「第三次安倍政権」待望論や、「病気療養後の院政」を期待する声が溢れている。本当に情けないことだ。安倍総理自身が「(以降の日本の諸課題を)強力な新体制にゆだねる」と言っているのに、安倍総理を思慕する大衆や自称言論人が、すでに旧体制への捨てきれない未練と、浅はかな追従精神に縋り付いている。総理を辞した安倍総理には、彼自身が辞職会見で言ったように一代議士として職責を全うすればよろしい。しかし7年8カ月という、短いような長いような期間続いた長期政権の下で、日本大衆はその知的弾力性を失い、精神思考は硬直し、自発的な権力への追従という、笑えない精神構造を保持し続けているように思える。

内心にたぎる熱情はどこへ

ポスト安倍がどのようになるかは分からないが、日本社会の根本的病理とは、この批判精神の欠如と権力への無批判にこそある。まさしくこの7年8カ月という絶妙な権力の時間的長さは、1945年8月の敗戦から、1952年のサンフランシスコ講和条約まで日本を間接統治したGHQの約7年間の統治期間と重なる。

日本は52年のサ条約で完全に主権を回復して独立したにもかかわらず、占領軍の主軸たるアメリカの意向を慮って、対米追従の政策をつづけた。しかしそれでもと言おうか、かつての保守の自民党政治家には、面従腹背でいつしか対米自立を遂げるという気骨があった。「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根は米大統領レーガンと「ロン・ヤス関係」の蜜月を構築したが、それは冷戦下の国際情勢の要請であって、彼の内心のたぎる熱情はあくまでも対米自立であった。

このような面従腹背の気骨すら失い、ひたすら権力の広報を信じ、「中立です」と標榜して事実上権力礼賛を続ける人々の精神構造を根底から改良しなければ、ポスト安倍が誰になろうと日本人の知的堕落は継続されるだろう。そしてそうなった場合、それこそが安倍7年8カ月が残した最大の負の遺産である。