「学界の横綱」になるのが私の夢ではなかった。
しかし、研究費や発信力などさまざまな条件を考えれば、当然旧帝大系の大学には行きたかったし、そのためのアプローチもした。旧帝大の公募人事にも応じたが、例外なく落とされた。研究業績や実力うんぬんは建前で、実際は人脈や学閥がものをいう世界である。
「賞を取って有名になっただけでなく、次から次へと著作を出版する。遠慮なく他人の不正を批判する人をどこの大学も採用しない」と、学会での「師匠筋」にも言われた。そこから、「学界の横綱」を諦めた私は、地方の国立大学で教育と研究、それに大学行政に専念するようになった。
日本人の「素朴な嫉妬心」
日本で私が自身の国際経験から発言すると、周りの日本人の顰蹙(ひんしゅく)を買うことが多い。
しかし同じことを日本人が言えば、その意見は採用される。非日本人の私の言い方は当然、非日本的で、直截(ちょくせつ)的だったようである。「日本的な会議のやり方も分かっていない」「落としどころを想定した発言になっていない」とよく批判された。
そして、単に意見をぶつけ合っていると私が思っても、周りの日本人はいつの間にか団結し合って、「反外人」の陣営を形成する。
私はアカデミックな世界は民族・国籍・人種とは無関係で議論し合えると信じていたのに、周りには日本人が日本人を守る壁ができていた。日本人は制度や規定だけでなく、伝統や「根回し」といった無形の武器で私の周りに塹壕を掘っていた。