「保守」「リベラル」で思考停止するのはもうやめよう~宇野重規×山本一郎対談(1)
ナショナリズムや復古主義とは区別して考えるべき
山本:そう考えて行くと、民族主義的な人もそうですが、いわゆる保守的態度をとっている人が、「我々は保守だ」あるいは「保守本流だ」「保守主義者だ」と言っていることの傲慢さというか勘違いというか、本来のバークの思想としての保守主義ともっともかけ離れた考え方だと思います。これに対しては、どこかで修正をかけていかなければいけないのに、なかなか合理的な説明を果たす機会に恵まれず、結果として広く誤解がひろまってしまっています。解説を怠っていますよね。
実際には「保守とは何か」ということに関して、深い議論が戦後だけでなく戦前にもあり、場合によっては江戸時代の良かった面の掘り起こしも必要なはずです。日本が守るべき日本の伝統、知恵の再発見という観点があまり見受けられないのは残念なことです。「日本人とはなんぞや」みたいなものも含めて、次の世代にいかにブリッジをかけていくのか、という視点で考えなければいけないのではないでしょうか。
宇野:「ブリッジをかける」というのは良い言葉ですね。保守主義者って、やっぱりブリッジをかけていく人のことだと思うんです。革命でスパンと切っちゃうんじゃなくて、どう繋いでいくかという視点を持っている人。
歴史の転換点って、結構危うい時もあったと思うんです。日本でも明治維新と敗戦という2つの大きな断絶がありましたが、その断絶を認めながらも、どうやって連続性を持たせて繋いでいくかが知恵の見せ所でした。自分達が昔から大切にしてきた価値は何かということを、常に今の世代から確認し直し、検証していける、そういう態度が必要ですよね。
山本:本当は、日本にもバークのような考え方を持っている人たちがいると思うんですね。そういう方々が、分かりやすく「これが保守主義の本流のものですよ」と提示していただけたらいいなと。バークが何を考えて、どういう主張をしたのかということを理解し、「自由」という重要な起点から考えて、何を伝統として残すべきなのかを、もう一度みんなで再考する必要があると思います。
今まで言われてきた、いわゆる日本の"保守"というのは、「保守的態度」なのであって、違うものなんですよと、うまい具合に説明したいといつも思っています。単に国民が天皇を崇敬する伝統を守るのが保守なんだと言われても、それが本来の意味での保守主義とは違うということになるはずなんですけど、そういう人達も「保守」を名乗るわけですよ。
宇野:仰るとおりです。保守主義というのは、まず、ナショナリズムとは区別するべきです。むしろ多様性に開かれていることが大切ですし、恣意的に過去と紐付けてしまうような、ある種の復古主義とも違うわけです。
要するに、社会が変化しているということを認めながらも、急速な変化に対してはスローダウンしてブレーキをかけ、検証しながら、前に進んでいくということでしょう。
だから、ただ「昔はよかったな」というのとも違います。着実に前に進むんですが、過去との連続性を大切にしながら進んでいく。そういう意味での「保守主義」が本当に日本にあったのかというと、不安になりますね。(後編に続く)
宇野重規
中公新書
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