日本は戦後ずっとアメリカの属国だったのか

2012年10月12日(金)15時24分
池田信夫

 尖閣諸島で日中の緊張が高まり、沖縄では新型輸送機オスプレイの配備に地元が反対するなど、あらためて日米同盟が問い直されている。こういう状況に乗って『戦後史の正体』という本が20万部を超えるベストセラーになっている。著者は孫崎享氏。外務省で国際情報局長などを歴任した外交官だ。

 その内容は、単純な陰謀史観である。戦後の首相を「対米追従派」と「自主派」に分類し、前者は長期政権だったが、後者はアメリカの工作によって失脚したという話だ。確かに終戦直後には進駐軍に抵抗して失脚した政治家も多いが、21世紀に入っても鳩山由紀夫氏や福田康夫氏までアメリカの陰謀で失脚したというストーリーは荒唐無稽で、具体的な証拠は何もない。

 長期政権だった吉田茂、池田勇人、中曽根康弘、小泉純一郎などが対米追従路線をとったのは、それ以外の選択肢がなかったからだ。本来はサンフランシスコ講和条約で独立したとき、憲法を改正すべきだったが、吉田茂は1951年のダレス米国務長官との会談で「再軍備の負担が加わると日本経済は崩壊する」と再軍備を拒否した。この判断は当時としてはそれなりに根拠もあったが、独立のタイミングを逃したためにずっと憲法改正ができなくなった。

 オスプレイ騒動でよくいわれる「沖縄は本土の犠牲になっている」という話は逆である。サンフランシスコ条約のとき、アメリカは沖縄を国連の信託統治領として永久に占領しようとしたが、吉田はこれに抵抗した。沖縄はアメリカの領土になってもおかしくなかったのを、吉田が粘って守ったのだ。その後も日本は沖縄返還交渉を粘り強く続け、1972年に沖縄は返還された。戦争で占領された領土が、平和的な交渉で返還されたのは世界でも珍しい。

 60年安保のころまでは、日本が西側に所属することを否定して「全面講和」を求める進歩的知識人が論壇の主流だったが、中ソと平和条約を結ぶまで日米の平和条約が結べないとすれば、日本はいまだに独立できていない。戦後の日本の平和は日米同盟にコミットすることで、アメリカの核の傘に守られてきたのだ。

 経済的には70年代以降、日本はアメリカの競争相手になった。貿易摩擦が高まり、日米構造協議などを通じたアメリカの外圧で日本の経済政策が変わることもしばしばあった。しかし当時の通商交渉を取材した経験では、こうした外圧のほとんどは内圧だった。たとえば農水省が複雑な規制で「非関税障壁」を設けているとき、通産省(当時)がそれをアメリカ側に情報提供し、構造協議でアメリカ側がその撤廃を要求する、というパターンが多かった。

 だから日本が戦後ずっとアメリカの属国だったという孫崎氏の主張は、ある意味で正しいが、それは陰謀や脅迫のせいではなく、対米従属が合理的だったからだ。これは日本が代わりにソ連に占領されていたらどうなったかを考えれば明らかだろう。日本を共産主義に従属させるには強圧的な権力が必要だが、自由経済に誘導するのに脅迫は必要ない。人々はおのずから自由で豊かな社会を望むからだ。

 90年代から日本の政治が迷走し始めた一つの原因は、冷戦が終わって日本が戦略的重要性を失ったことだ。2000年代には日本の経済力が凋落し、アメリカの関心が中国に移ったため、両国関係に亀裂が入った。アメリカという求心力を失ったことが政治の混乱の原因なのに、問題を逆に見た民主党の鳩山首相は「東アジア共同体」などの奇妙な政策を打ち出し、「最低でも県外」などと公言して同盟関係をさらに混乱させた。

 いま中国や韓国が日本を挑発するのも、こうした同盟関係のゆらぎを察知しているからだろう。それに対してナショナリズムをあおってみても、悲しいことに日本は中国の核の脅威に対抗する戦力をもっていない。長い間の対米従属で政治家の能力も劣化したので、私は日本の政治家に命を預けたいとは思わない。政権が自民党に戻っても、この状況は変わらないだろう。日本の政治は当分、アメリカに依存してやっていくしかない。

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