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ジャーナリズムを含めてマスメディア、マスコミと呼ぶ習慣がいつのまにか定着している。
しかし、マスメディアはより広く、より多くの人に情報を伝えることを目指し、ジャーナリズムは真相を追求し、公益の実現に希望を託す。つまり駆動原理が異なっているにもかかわらずマスコミの一語に括られると、ジャーナリズムの個性や存在価値は見失われ易くなろう。
そこでジャーナリズムとはなにか、改めて検討する必要があると考えた。『アステイオン』95号に続いて再び特集タイトルに「アカデミック・ジャーナリズム」を掲げたのは、ジャーナリズムとアカデミズムの協働の必要性を訴える編集方針の一貫性を示すものだが、ジャーナリズムの「思想」と「科学」に焦点を当てるという新機軸も打ち出した。
調査、観察を通じて事象の因果関係や、問題の解を求めることにおいてジャーナリズムは、実は自然科学、社会科学などと同じ「形式」を有している。
生身の人間や日々流転する社会を相手取り、そのつど臨機応変の対応をしているように見えるので気づかれにくいが、ジャーナリズムは実は一貫してひとつの科学なのであり、独自の調査と表現の方法を適宜運用してゆく背景にはジャーナリズムならではの思想的裏づけがあるはずなのだ。
そこで、レヴィ・ストロースが先住民族の思考と行動に論理性を見出したように(という喩えが適当かは別として)、ジャーナリズムの「野生の思想と科学」に改めて注目する。
その作業はジャーナリズムという営みの輪郭を描き出すだろう。そして歴史学や言語学、社会心理学、科学技術論などアカデミズムの隣接諸科学の成果とも照らし合わせつつ、その思想と手法を批評的に検証することは、実証科学としてのジャーナリズムを鍛え直す機会にもなろう。
マスコミ不信が高じて、「マスコミが伝えていない」という理由をもって実証性から著しく乖離した言説を信じようとする奇怪な逆張り思考法がSNSや動画共有サービス上で優勢になっている。
ジャーナリズムが存在感を取り戻すことで、そうした傾向に少しでも歯止めがかけられることを願っている。
武田 徹(Toru Takeda)
1958年生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科修了。院在籍中より執筆活動を始める。東京大学先端科学技術研究センター特任教授等を経て、現職。専門はメディア社会論。『流行人類学クロニクル』(日経BP社、サントリー学芸賞)、『原発報道とメディア』(講談社現代新書)、『日本ノンフィクション史』(中公新書)、『神と人と言葉と 評伝・立花隆』(中央公論新社)など著書多数。
『アステイオン102』
公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
CEメディアハウス[刊]
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