アステイオン

韓国

中華街は華やかな観光名所か、中国人の集住地区か――韓国の中の「中華」を探る

2023年07月19日(水)10時55分
森 万佑子(東京女子大学准教授)
チャイナタウン標識

韓国・仁川市内の標識 qwerty_photo-shutterstock


<韓国の仁川中華街の歴史を紐解くと、朝鮮王朝が誇った「小中華」思想から、今の韓国・北朝鮮の対中認識まで、ダイナミックな変化が見えてくる。『アステイオン』98号の「朝鮮半島にとっての中華」を一部抜粋>


中華街(チャイナタウン)。

中華とは、本来の意味は、宇宙につながる唯一無二の概念であり、中国皇帝を中心とした壮大な世界観である。それを日本では、横浜中華街などの日本三大中華街をはじめ、中国の良い(日本人ウケする)ところを一区域に閉じ込め、「華やかな」観光名所にしている。

他方、アメリカや東南アジアの中華街は、政治・経済・文化的にも少なからず影響力を持つ、たくましい華僑の集住地区といえる。

では、中国と長く深い関係を築いてきた韓国の中華街はどうだろう。

韓国の中華街

韓国で中華街というと、2つのイメージがあるだろう。1つは仁川(インチョン)中華街、もう一つは大林洞(デリムドン)一帯の朝鮮族集住地区である。両者に共通する点は、長く韓国社会で韓国人と区別された閉鎖的空間であった(ある)ということである。

特に、後者の大林洞一帯は、ここを舞台に、朝鮮族を暴力的でネガティブに描く映画が作られるなど、韓国社会の朝鮮族に対する偏見や差別意識を表象する場でもある。

この地域は、2000年まではほぼ韓国人の居住地だったが、中国人居住地区の再開発によって、多くが職場(とりわけ韓国人が忌避する3K労働の職場)と居住地を失い、特に朝鮮族が、交通の要地でありながら建物の老朽化のために地価が低廉なこの地区に集まりはじめた。

その後、それまで韓国人が営んでいた商店やサービス施設を、朝鮮族が代替するようになり、今日では、中国語の看板が並び、中国語がとびかう雑多な風景となった。上のような映画の舞台になるほど、韓国人にとって忌避する場である(春木育美・吉田美智子『移民大国化する韓国』)。

大林洞中華街と比べると、仁川中華街は別世界に見えるかもしれない。今日、仁川中華街を訪れると、立派な牌楼(はいろう/門)が出迎え、まるで横浜中華街のような華やかな街に見える。

それもそのはず、2000年代、仁川広域市の職員がこの地を観光地にしようと横浜中華街を視察し、仁川中華街のシンボルとなる牌楼も、姉妹都市・山東省威海市(韓国華僑の9割以上が山東省出身)から、2002年に寄贈されて建設された経緯がある。

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