アステイオン

韓国

中華街は華やかな観光名所か、中国人の集住地区か――韓国の中の「中華」を探る

2023年07月19日(水)10時55分
森 万佑子(東京女子大学准教授)

対等を正常と考える西洋近代の観点からみれば違和感をもつこれらの条項も、中朝関係においては自然なことだった。

折しも、1882年の章程成立直前には「壬午軍乱(大院君を支持する儒生や旧式軍隊が、高宗・閔氏政権の近代化政策に反対して起こしたクーデター)」が起こり、高宗の実父・大院君は清朝に拉致され、漢城の治安は清朝が指揮する約3000の兵によって維持された。朝鮮で清朝中華の力が、急激に高まりつつある時期でもあった。

近代中朝関係の変容

その後、東アジアを取り巻く国際情勢は変動し、清朝、朝鮮ともに西洋近代の文明に知見を広げるようになる。例えば1884年、朝鮮で若手官僚ら(急進開化派)による社会制度を含めた朝鮮の近代化を企図するクーデター「甲申政変」が起こる。

甲申政変を主導した金玉均は、福沢諭吉と親しく、日本の明治維新を手本とした朝鮮の近代化を理想とし、そのためには旧制に惑溺する清朝からの独立が必要だと考えた。

甲申政変の政綱のはじめに「朝貢虚礼の廃止」が掲げられているのは、朝鮮の近代化のためには宗属関係を廃棄し、独立国にならねばならないという強い思いがあった。甲申政変は失敗したが、直後に高宗・閔氏政権は清朝などの影響力強化をけん制しようと、ロシアに接近する。

他方、清朝はあまりに自明と思っていた朝鮮=「属国」という事実が、欧米列強には理解されにくいことに焦りをおぼえはじめる。1885年11月、清朝は袁世凱を「総理朝鮮通商交渉時宜」の肩書、つまり朝鮮との通商や交渉全般を統轄管理する役割として朝鮮の漢城に常駐させる。

しかも、欧米向けには「H. I. C. M. Resident」と肩書を英訳し、英領インドの藩王国に駐在するイギリスの「レジデント」さながらの振る舞いだった(岡本隆司『世界のなかの日清韓関係史』)。

これまで、「属国」の内政・外交は自主としてきた中華世界で、西洋近代のやり方を一部採り入れた宗属関係の変容がはじまったのである。「総理朝鮮通商交渉時宜」は、中国の朝鮮政策で重要な役割を果たすべく設置された出先機関だった。

経済面でも、居留民の数だけ見れば、日本商人のほうがずっと多かったが、華商は清朝の庇護下で日本商人を圧倒する勢力だった。

特に華商は漢城交易が認められていたので、漢城の繁華街にまで勢力を拡大し、外国輸入品の小売業のみならず、朝鮮産の小売業にも手を出していた。漢城近郊には、中国商人の集住地区があったほどだった。

仁川でも、日本人と比べると中国人居留民は少なかったが、広東華商が経営する同順泰という会社が華商ネットワークを活かして東アジア貿易に大きな影響力をもっていた。

また、仁川にある黒煉瓦作りの清朝出先機関には、朝鮮初の電信局があり、日本より先に漢城─仁川をつなぎ、新義州を経て中国本土と連絡できた。そのため、朝鮮在住の日本人も、日本へ電信を利用する時は、清朝の厄介になり、上海─長崎を経て目的地に送達された。

商業経済面では、華商は土着の朝鮮商人はもちろん、新興の日本商人をも圧倒する威勢を持っていたのだ。

この後、華商はなぜ勢力を失い、どのように今日の仁川中華街を形成してきたのだろうか。


【参考文献】
王恩美『東アジア現代史のなかの韓国華僑─冷戦体制と「祖国」意識』三元社、2008年。
岡本隆司『世界のなかの日清韓関係史─交隣と属国、自主と独立』講談社選書メチエ、2008年。
韓洪九、崔順姫・韓興鉄訳『韓国スタディーツアー・ガイド』彩流社、2020年。
春木育美・吉田美智子『移民大国化する韓国─労働・家族・ジェンダーの視点から』明石書店、2022年。
平岩俊司『朝鮮民主主義人民共和国と中華人民共和国─「唇歯の関係」の構造と変容』世織書房、2010年。


森万佑子(Mayuko Mori)
1983年生まれ。2012年ソウル大学大学院国史学科博士課程単位取得修了。2015年東京大学大学院総合文化研究科博士課程満期退学、16年博士(学術)。博士論文は第4回松下正治記念学術賞受賞。主な著書に『朝鮮外交の近代』(名古屋大学出版会、第35回大平正芳記念賞受賞)、『ソウル大学校で韓国近代史を学ぶ』(風響社)、『韓国併合』(中公新書)などがある。



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 『アステイオン』98号

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