アステイオン

連載企画

インド生まれの『方丈記』研究者が、日本のアリの研究者を訪ねて考えた「契約」の話

2022年12月14日(水)08時03分
プラダン・ゴウランガ・チャラン(国際日本文化研究センタープロジェクト研究員)

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プラスチックケースのなかでで飼われている大量のアリ 撮影:宮野公樹

研究室の奥の部屋で飼育されていた何種類ものアリを見ると、逆になぜか親近感を抱いた。おそらくそれは「生命」を扱う研究であったからかもしれない。アリのことについては門外漢である私にとって、アリもまた他の生き物と同じように、この世界に生まれ、世界での時間を終えて死んでゆくという点で共通している。

もし、子供の頃に後藤研究室のようなところを訪れる機会があったならば、私も理系の道に進んでいた可能性もあった。今回は初めてそのように感じたのである。

他方、後藤研究室で少しショックを受けたこともあった。後藤が何のためらいもなく、ハサミで芋虫を短く刻んでアリに食べさせていた様子である。ある生命体についての研究者の好奇心を満たすために、もう一つの生命体を犠牲にしているようにみえた。

近年、ラボで利用される被験動物を研究成果の共同著者にすることがあるようだが、餌のために飼われた芋虫も、被験対象のアリも名前はないままに死んでいくと思った。ラボには、複数の段に分けられたプラスチック製の小さい箱に、数えられない数のアリがいた。

普段なら餌探しに足を運ばないといけないはずのアリだが、ここでは餌のことを心配しなくても良いから、体を動かす必要はほとんどない。と言うより、生活スペースが狭いため、体を動かしたくても動かせないのだ。

生物学の知識がゼロである私には、このような実験室のアリをいくら観察したとしてもアリ一般についての結論は出しにくいのではないかと思えた。

大昔から人間は、アリを含めて他の生き物について色々考えてきた。「アリとキリギリス」の話しのように、古代ギリシアの人はアリのことを考えていたし、北アメリカの先住民は、アリが地下世界の生き物で魔法の力を持っていると信じていたらしい。その意味で後藤が子供の頃、アリに好奇心を抱いたのも珍しいことではないかもしれない。

実はこの「好奇心」こそが、いつの時代でもどこの地域でも、学問の探求の原動力であった。私が日本の中世時代に書かれた『方丈記』という文学作品に関心を持った背景にも、こうした好奇心があった。800年前に活躍した著者の鴨長明が当時の日本社会や人々をどのように描こうとしたのか。それを知りたかったのだ。

これは、今回の企画に参加した全員が議論をしながら「学問の再契約」のMAPを作成する過程でも分かってきたことである。

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