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考古学

三島由紀夫が「一大奇書」と言ったマヤの聖典『ポポル・ヴフ』──コロナ禍で読む意義

2022年04月28日(木)16時00分
鈴木真太郎(岡山大学文明動態学研究所教授)

グアテマラのサント・トマス教会の前で儀式を行う現代に生きるキチェ族の女性 Tiago_Fernandez-iStock

<マヤ系先住民キチェ族による口誦文学『ポポル・ヴフ』。日本でも1961年に『ポポル・ヴフ――マヤ文明の古代文書』(中央公論社)が出版されて以来、長く読みつがれている。16世紀の記憶を21世紀の今、私たちが読む意義とは?>


ここには、すべてが静かに垂れ下がり、すべてが動くこともなく平穏にうちしずみ、空がただうつろにひろがっていた模様が語られる。

これはその最初の話、最初の物語である。人間はまだ一人もいなかった。獣も、鳥も、魚も、蟹もいなかった。木も、石も、洞穴も、谷間も、草や森もなく、ただ空だけがあった。

地の表もさだかに見わけられなかった。ただ静かな海と限りなくひろがる空だけがあった。

『マヤ神話ポポル・ヴフ』(中公文庫、86頁)




マヤ神話ポポル・ヴフ

グアテマラのマヤ系先住民キチェ族が残した『ポポル・ヴフ』と呼ばれる口誦文学、冒頭の一節である。古代マヤ文明の「聖典」とも称されており、どこか怪しげで詩的な文章が、太古の文明が纏う謎と神秘の世界へと読む人を誘う。

18世紀初頭、ドミニコ会士フランシスコ・ヒメネスが、現在のキチェ県チチカステナンゴ市にあるサント・トマス教会でチチカステナンゴ文書と呼ばれる古文書に出会い、筆写・翻訳を行ったものがその始まりとされる。

作者については明らかでない。もともと口伝で受け継がれてきた物語をキチェの王族か高位の貴族が書き残したものとも、複数の人物によって書かれ、それが再構成されたものとも言われている。

ヒメネス以来さまざまな言語に翻訳が行われており、中公文庫『マヤ神話ポポル・ヴフ』では日本語で全文を読むことができる。キチェ語から日本語へ直接訳されたものではないが、原本となったスペイン語訳には本国グアテマラでも評判の高いA.レシーノスの訳が採用されている。

日本語への翻訳も、外交官としてスペイン大使も務め、当時最高峰のスペイン語エキスパートであった林家永吉(1919年―2016年)が務めている。メキシコの画家、壁画家として不動の名声を誇るディエゴ・リベラによる美しいカラーの挿絵が多数含まれており、なんと、あの三島由紀夫が書評を寄せた。

1961年にハードカバーの『ポポル・ヴフ―マヤ文明の古代文書』が初刊行されて以来、文庫版、新文庫版、そして2016年の第3版『マヤ神話ポポル・ヴフ』(中公文庫)まで、実に60年以上にわたって読みつがれる不朽の名作である。

ポポル・ヴフの真実

キチェ族の神話的な起源に関する部分が特にクローズアップされ、一般には「マヤ創世神話」、「マヤの聖典」として紹介されることが多い『ポポル・ヴフ』である。

しかし、スペイン植民地時代初期という歴史的背景からこれを読み解く研究の最前線によると、キチェ王統の高貴なる由来を神話の時代から説明することで、スペイン王政下における彼らの優位性、権利を求めるため意図的に語られた物語という、生々しい現実的な側面が見え隠れするという。

当時のキチェ貴族たちは侵略者であるスペイン軍に敗れ、国としての敗北を認めた。その上で、生き残りをかけて自らの正統性をスペイン王に訴えたのである。神話部分の構成には、いわば勝者の神話である旧約聖書からの影響も見られるとさえ言われている。

筆者は折に触れて「古代マヤはもはや謎と神秘の古代文明ではない」と主張してきた。その聖典『ポポル・ヴフ』もやはり、失われし古代文明の悠然なる神話集などではなく、敗者が残した必死のプロパガンダという汎人類的な、泥臭い人間物語なのである。

では、なぜ今とりわけ新刊というわけでもない『ポポル・ヴフ』を、その歴史的な深読みと合わせ、紹介したのか。若干唐突ではあるが、この『ポポル・ヴフ』と昨今の新型コロナウィルスによる疫禍を合わせ、少し感じるところがあったのである。

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