ここでフェミニズムの歴史を振り返ると、第2波の始まりとしてしばしば挙げられる、専業主婦という役割に囚われていた女性たちの解放を目指した、ベティ・フリーダン『女らしさの神話』が刊行されたのが1963年だ。昨年岩波文庫から新訳が刊行されたことも、この本の古典としての価値を示している(訳者は荻野美穂)。
1963年を第2波フェミニズムの起点とすれば、それより前の1958年を描く際に、上の②のような、娘の結婚を「ゴール」として教育する母親が描かれるのもわかりやすい。
小説の展開としては、この発言を受けて「自立した女性」という理念をルースが和らげ――そして現実においても――バービー人形の最初の衣裳の1つにウェディングドレスが入る。逆に言えば、ルースの理念は早すぎた第2波フェミニズムと読める。
先にバービー人形がフェミニズムの「敵」となった時代もあると記しておいたが、これも第2波の頃である。
『この子の名前はバービー』にはその事実もきちんと描かれ、1968年、バービーの体型が「解剖学的にありえない」と非難される場面がある。また彼女の体型を目指して無理に瘦せ、夭逝する人物さえ描かれる。
事実、バービー人形の現実離れしたスタイルが批判されることは多い。
しかしこの小説では、最初は生身の人間の6分の1スケールでデザインされていたものの、「6分の1の厚さの布なんてない。[...]布の厚さを相殺するのに、ウエストを普通より細くしなきゃだめ」という開発秘話が書かれている。結果できあがったスリーサイズは、「馬鹿げた39-18-33インチ[約99cm-46cm-84cm!]」らしい。
人形を「理想」とする考え方が現われたとき、批判されるべきは人形そのものというより、その考え方、あるいはその考え方を強制する社会構造だろう。こうした事実が描かれることで本作は、バービー人形やそれに関わった人々を批判から救い出している。
いま「関わった人々」と複数形で書いた通り、バービー人形の功績はルース・ハンドラーというひとりの女性に帰されることも多いのだが、この小説は彼女のみを描くのではなく、複数の関係者が織りなす群像劇となっている。
ルースの夫エリオット。バービーという名の由来である娘バーバラ。あるいは衣裳デザインを担当したシャーロット・ジョンソン。そして何より、バービー人形の技術面――関節をどうするか、髪をどう植えるかなど――の責任者ジャック・ライアン。みな実在の人物だ。
なかでもジャック・ライアンは、本作の影の主人公と言える。