アステイオン

言語学

AIが書いた文章は誰のもの?──勝手に「私の言葉」が生み出される時代の違和感

2022年09月20日(火)07時55分
川添愛(言語学者)

その文章自体は非常に出来が良く、中身も私の当時の考えをほぼ正確に反映したものだった。しかし、私はその文章の掲載をお断りした。なぜかというと、たとえ自分の過去の文章をもとにして作成されたとはいえ、その原稿を自分のものとして発表することに違和感を覚えたからだ。

書き手の中には、こういうことを一切気にしない方もいらっしゃるだろう。私もインタビューや講演の内容を他の書き手にまとめてもらうことはあるし、自分で書き下ろした文章であっても編集や校正の段階で他人の提案を取り入れたりするので、「文章は誰のものか」という問題は簡単に答えが出るものではない。

ただ、この経験によって気づいたのは、私個人は、書こうと思った「そのとき」に自分の内部から出てきた言葉がベースにないと、自分の文章だとは思えないということだ。よって、もしLearn from Anyoneが私の過去の文章から単語列の出現確率を学習し、いかにも私が書きそうな文章を生成したとしても、私はそれを自分の言葉だとは思えないだろう。

結局のところ、Learn from Anyoneのようなシステムをどう思うかは、書き手の本質を「その人の過去の言葉の集積」から再構築できると考えるか否かによって、大きく分かれると思う。私自身は自分の中に、自分の過去の言葉や行為の断片から再構築できないような何かがあると思っている。

ただし、そのように思わない人びとを否定するつもりはない。実際、近年の脳科学の成果から、自由意志は存在しないとか、人格は脳の損傷によって左右されるなどと言われている。

自分という「感じ」は結局のところは脳が生み出した幻であり、確固たる自分というものは存在しないのだという立場に立てば、個人の言動の集積から作り上げた何かを本人と同一視するという考えも「あり」かもしれない。

また、AIの助けによって誰かの言葉を生み出し続けることは、ある種の不死を実現することにつながるのかもしれない。そのような立場を取る人にとっては、AIの進歩はまさに福音と言えるだろう。

とはいえ、私は今後どんなにAIが発達しようと、AIが勝手に生み出した「私の言葉」を自分のものとして認めるつもりはないので、そのあたりの権利関係は早めに明確にしておきたいものだ。

[注]
(※1) https://gpt3demo.com/apps/learnfromanyone
(※2) 参考:Simon O'Regan "GPT-3: Demo, Use Cases, and Implications", towards data science, Jul 22, 2020.
(※3) https://twitter.com/mckaywrigley/status/1284110063498522624
(※4) 参考:哲学者の森岡正博さんが考える「AIは哲学できるか」、朝日新聞デジタル、2018年1月21日


川添愛(Ai Kawazoe)
1973年生まれ。九州大学文学部、同大学院ほかで理論言語学を専攻。津田塾大学特任准教授、国立情報学研究所特任准教授などを経て、言語学や情報科学をテーマに著作活動を行う。著書に『言語学バーリ・トゥード』(東京大学出版会)、『ヒトの言葉 機械の言葉』(角川新書)、『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』(朝日出版社)など。



asteion96-150.png

  『アステイオン 96
 特集「経済学の常識、世間の常識」
  公益財団法人サントリー文化財団
  アステイオン編集委員会 編
  CCCメディアハウス

(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)

PAGE TOP