アステイオン

美学

美という、いわく言い難いもの

2020年01月10日(金)
清水さやか(共立女子大学非常勤講師 ・2016年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」被採択者)

ヘレニズムとヘブライズムは、言うまでもなく西洋思想の二大源流である。両者は美を善と並ぶ最高の価値としたことで共通しているが、じつのところ、その美の探求は異なる方向性を持っている。ヘレニズムにおける美の探求は、ひと言で言うならば〈多なるもの〉から〈一なるもの〉への帰還を目指すものだ。たとえばプラトン哲学の優れた後継者であるプロティノスは、一者から知性が発出し、知性から魂、魂から物体が発出するという構図を前提としたうえで、美の探求はこの工程を逆方向に辿ること、つまり物体から最終的には一者へと戻ることであると定義する。彼によれば、美を得るためには、物体を捨てて、〈一なるもの〉に帰還しなければならない。プラトン哲学もアリストテレス哲学も、この〈一なるもの〉への帰還という原理を有するものであった。

それに対してヘブライズムで目指されたのは、その逆方向、つまり〈一なるもの〉から〈多なるもの〉への発出である。ユダヤ=キリスト教においては、世界は神の意図に沿って呼び出されたものだ。それゆえ神はあらゆる被造物を喜び、その多様性を祝福する。「神は善そのものであり、美そのものである」としたトマス・アクィナスは、神をすべての被造的な美の原因とみなした。被造物はみな、有であるかぎり美しい。古代ギリシャにおける、有限なものを放棄せよという教えとは逆に、地上の多種多様な顕れが美なるものとして肯定されるのである。

〈多〉から〈一〉へと進むヘレニズムと、〈一〉から〈多〉へと進むヘブライズム。西洋哲学におけるこれら二つの伝統は、逆方向を向いたまま交わることがなかったのだろうか。そのような疑問に答えるべく、瀧氏が両者を統合するものとして光を当ててみせるのが、20世紀哲学の嚆矢、アンリ・ベルクソンである。

瀧氏が着目するのはベルクソンの「直観」の概念だ。ベルクソンは直観というものを、〈多〉から〈一〉への帰還と、〈一〉から〈多〉への発出という双方向の運動が同時的に生じるものと考えた。つまり私たちは直観する瞬間、絶対的なもの――ヘレニズム的な言い方をすれば「ふるさと」だろうか――へ還るのと同時に、多様なものを産出する(創造する)方向へも向かうのである。その二つはどちらが先でどちらが後ということはない。ヘレニズムとヘブライズムがそれぞれ美の探求を通して目指した方向は、ベルクソンの考える直観においては同時に成立しているのである。

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