アステイオン

教育

大学の心臓を思い起こして──「文脈」の大切さ──

2017年06月30日(金)
奈倉有里(早稲田大学非常勤講師・2015、2016年度サントリー文化財団鳥井フェロー)

Geber86-iStock.

2017年5月25日(水)大阪にて堂島サロンが行われた。今回のゲストスピーカーは田島正樹先生だ。『文脈を学ぶための出会ひの場としての大学』をテーマに、司会の猪木先生によるご紹介のとおり「ある一定の時間を経て理解が深まる」お話をしてくださった。以下は講義の要約と感想である。

現在の大学の起源は12世紀のヨーロッパにさかのぼる。『アベラールとエロイーズの往復書簡』で知られる哲学者アベラールがパリのシテ島で弁証法を教えていたとき、まだパリ大学は存在していなかった。しかし彼の講談が評判になり全ヨーロッパから学生が集まったので、当時の法学・神学・医学の専門機関が、彼の授業と一緒になったほうが有利だと考え団体を形成した。それがパリ大学のもとになったといわれている。

アベラールが教えていたのはアリストテレスの論理学。なかでもオルガノンと呼ばれるテクスト群が「弁証法」として評判になった。なぜ当時の学生たちはそれに熱狂したのか。

たとえばデモステネスが雄弁に語ったのはアテネの自由を守るためだったが、中世にはその歴史的文脈が失われていた。ポリス的な世界は崩壊し、民主主義はない。アンティポンの裁判テクストにしても、それを読むために必要な裁判制度のコンテクストが失われていた。

一方、当時の学生というのは、貴族階級の次男三男で親の土地や権威を受け継ぐことができないような青年たちだ。弁証法を学ぶことで、既存の権威的な解釈に反論し、自分たちが本当にすごいと言えるかもしれない。アベラールは学生たちにそういうインパクト――自由のきっかけ――を与えたのだ。

アベラールは野心家で、神学も勉強した。神学の世界ではテクスト解釈が権力に直接結びつく。ソ連でマルクス主義のテクストをどう読むかが一種の神学だったのと同じように。アベラールは読みの能力を生かし、当時のキリスト教の権力争いに乗り込んだ。そのため晩年は悲惨なことになったが......。

だが重要なのは大学の出発点において彼らが、権威的なテクストにそれまでとは少し違った解釈をみいだすことに、自由の光を見いだしていたということだ。

ルネサンス期になるとギリシアのテクストが再び発見された。因果関係は明確ではないが、古代の学問の再考と宗教改革が同時代的に起きていることは注目に値する。プロテスタントは聖書を各国語に翻訳=解釈し、カトリックも独自の解釈で対抗した。若者は選択を迫られ、母語で聖書を読み、解釈をうちたてた。それは「個人的な読書体験」であり「近代小説」を準備した。

PAGE TOP