チルンハウスは翌1708年に亡くなってしまいますが、ベトガーはその後も研究を続け、1709年についにドイツの陶土によって白い磁器の開発に成功します。翌1710年からベトガーらの磁器工房はマイセンの小高い丘の上に築かれたアルブレヒト城に移され、その工房に1720年から絵付師のヘロルトが加わったことでマイセンは磁器製作所としての名声を高めていきます。ヘロルトの何が優れていたかというと、彼は完璧に中国風や日本風の絵柄を書くことができたのです。

 下の写真の左側は、ヘロルトが絵柄を描き1730年にマイセンで制作された磁器です。中国風の人物や植物や鳥があしらわれていて、素人の私から見れば、中国・景徳鎮産の磁器だと言われたら何の疑いも持たないぐらいの完璧な模倣品、ニセ・チャイナだと思います。

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 ヘロルトの指導の下で、マイセンでは1725~30年頃に中国の磁器や古伊万里、柿右衛門に似せた磁器が盛んにつくられました。つまり、18世紀初頭には中国と日本が磁器の先進国で、ヨーロッパは一生懸命にそれを模倣していたわけです。

なぜ中国の風景にこだわったのか

 気になるのは、ヘロルトらは見たこともない中国の人物や風景をなぜここまで完璧に模倣しようとしたのかです。解説書や博物館の説明書きでは「中国磁器が好きなアウグスト強王が模倣するように命じた」とされています。ただ、もともとこの王立磁器工場はザクセンの国庫立て直しのために始まった事業であることを考えると、磁器を高く売るための模倣ではなかったかと考えられます。売る時に中国産だと偽装したのかどうかわかりませんが、少なくとも中国産だと見えるような磁器を作っていたのはたしかです。

 ベトガーらはまた中国の磁器に特有の青の再現にも取り組み、さまざまなコバルト鉱石を試して1717年には中国の磁器に似た色を出すことに成功します。しかし、その後もなかなか色が安定せず、ようやく1733年になってきれいな青を出すことができるようになりました。

 上の右側の写真はその頃マイセンで作られた器です。よく見ると馬にまたがった男性の服は和服のように見えますが、顔立ち、髪、帽子はヨーロッパ風ですし、左側の二人の人物は中国風です。一つの器のなかに中国、日本、ヨーロッパが同居した、いかにも過渡的な作品です。この頃からマイセン磁器は中国や日本の磁器の模倣を脱して行きました。1740年以降の作品ではヨーロッパの風景や人物や動物を描いたものが主になっていきます。

安物を出さない知恵