彼が単にモロッコのスペイン語を話す地域からやってきただけなのか、あるいはイベリア半島をルーツとするセファルディムの文化と深い関わりを持っているのかは定かでないが、明らかにダヴィッドの立場とは一線を画す人物に設定されている。

そして3人目の主人公が、イスラエル警察の捜査官ミハだ。前半では彼の立場や行動は間接的にしか描かれない。本作では、アイヒマンの裁判そのものはまったく描かれないが、ラムラ刑務所で顔を合わせたミハとハイムの会話から、ミハはアイヒマンの取調官として、ハイムは護衛として裁判に臨んでいたことがわかる。ハイムはそのときのことを振り返り、法廷で自らのホロコースト体験を証言したミハを"真の英雄"と称える。そんな会話から察せられるように、ミハは大戦後にイスラエルにやってきたアシュケナジムなのだ。

ダヴィッドとハイムとミハが、それぞれに異なる集団を代表しているだけであれば、それは図式に過ぎない。しかし本作では、アイヒマンの運命が彼らそれぞれにとって大きな分岐点となる。

ミハとダヴィッドの分岐点はある意味で対照的といえる。ミハは前半では、アシュケナジムの一集団を代表しているだけのように見えるが、後半でホロコースト以外にも心に傷を負っていることが明らかになる。ミハがイスラエルにやってきたとき、管理官は彼の体験を作り話と結論づけた。それ以来、彼は過去について口を閉ざすようになっていた。つまり裁判は、彼が歴史との繋がりを取り戻す機会となる。

一方、焼却炉作りに加わることになったダヴィッドは、限られた時間のなかで重要な役割を果たす。彼がいなければ火葬は失敗していたかもしれない。それほど深く歴史に関わっていたが、極秘プロジェクトだったために、事実は封印されてしまうのだ。

アイヒマンにまつわる歴史からユダヤ人の多様性へ

では、ハイムの場合はどうか。アイヒマンを警護する彼が、裁判などでホロコーストについて知れば知るほど、重圧がのしかかる。常に神経を尖らせ、疲労が滲む彼は、アイヒマンからも心配される。そして、アイヒマンの要望で床屋が呼ばれる場面のやりとりなどは、滑稽ですらある。

ハイムは床屋に「東欧系ユダヤ人にはナチを警備させない。ホロコーストの生存者と家族は近寄らせない。中東と北アフリカだけ。俺は見た通りモロッコ出身だ」と語る。彼は警護のためにそんな線引きを余儀なくされ、疑心暗鬼にとらわれている。床屋は自分がトルコ系だと主張するが、ハイムにはその顔がヨーロッパ人に見えるのが気になる。床屋がハサミを入れるときには、一回ごとに許可を求めるように命じるが、ハサミを見つめるうちに、床屋の腕に識別番号が刻まれている妄想にとらわれ、銃を抜く始末なのだ。

パルトロウ監督は、アイヒマンにまつわる歴史からユダヤ人の多様性へと視野を広げ、独自の視点でイスラエル人とは何かを掘り下げている。

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