ホロコーストをマクドナルド化の先駆と見る
本作はそんな状況から、『謀議』とは違う要素を際立たせていく。別室に呼ばれたシュトゥッカートは主張を貫き、「混血児」などの問題の結論は先延ばしになる。別室から広間まで戻ったハイドリヒは、もはやかしこまった議論の必要もないかのように、その広間で一同を立たせたまま会議を再開する。
そこでひとり残っていたクリツィンガーも広間に移動し、彼が口火を切ることで、資料を見ながらなにを考えていたのかがわかる。彼は、バビ・ヤール渓谷で行われた虐殺を例に、1100万ものユダヤ人を処理するのにどれだけの時間を要するのかを計算していた。その結果として、銃殺ではとても間に合わず、それを実行する若者にも精神的な負担がかかることを危惧する。
すると、そんな疑問に答えるかたちで、アイヒマンが、ガス室をフル稼働させる計画を語り出す。必要な人員は、ユダヤ人や外国人を利用し、ドイツ人が関わるのは行程の管理とガスの放出だけで、対象者と実行者の接触を避けられる。参加者たちは、軍人も役人もその計画の「合理性」や「効率性」に納得し、問題が解決したかのように会議は終了する。
本作では、もとになった議事録から、そんな会議の流れ、4人のやりとりを導き出すことで、『謀議』の「権力」や「憎しみ」とはまったく違う、ホロコーストをマクドナルド化の先駆と見るような視点が浮かび上がってくる。