これに対して、フォルマンの体験に基づくアニメーション・ドキュメンタリー『戦場でワルツを』では、2006年の冬に、主人公の映画監督が、旧友から24年前のレバノン侵攻に起因する悪夢に悩まされている話を聞かされ、自分には当時の記憶がまったくないことに気づくところから始まる。そんな主人公は、失われた記憶を取り戻すために、世界中に散らばる戦友たちに会いにいく。

しかし、2本の映画の核には共通する問題意識がある。それらがほぼ同時期に作られているのは偶然ではない。2006年に起こった第二次レバノン侵攻が刺激剤になっているからだ。

マオズにとっては、それが転機になった。彼は以前から自分の体験を映画にしようとしてきたが、あまりにも生々しい記憶がよみがえり、トラウマを克服することができなかった。しかし、若い世代が自分と同じ体験をしたことで、その苦しみがもはや自分だけの問題ではなくなり、『レバノン』を作り上げることができた。

先に引用したホロコースト生存者の第二世代に関するマオズの発言は、こうした戦争体験とそれに基づく映画を踏まえると、その意味がより明確になるだろう。第二世代は、戦争のトラウマに苦しんでいても、それを表に出せず、感情を押し殺すか、あるいは忘却するしかなかった。しかし、『レバノン』や『戦場でワルツを』によって、世代を超えて人々を蝕むトラウマが明らかにされた。

トラウマの影響と抑圧に対する反動

『運命は踊る』では、そんなトラウマが前作とはまったく異なるアプローチで描き出される。まず注目したいのは、第一部の緻密な構成だ。その巧みな話術は、私たちにトラウマの影響を想像させる。

第一部で、それまで平静を装ってきたミハエルは、誤報と知った途端に感情を爆発させ、自分を見失っていく。ダフナは取り乱す夫に、「聞いて。過去になにかあったこと、私、知っているのよ。今、喋っているのは悪魔。あなたじゃない」といって宥めようとする。

そんなエピソードを踏まえて、映画の導入部を振り返ってみると、構成の緻密さがよくわかる。ダフナは軍人たちが現れた途端に気を失い、彼らに薬を投与され、誤報だとわかるまで意識を失っている。ミハエルは外出中の娘に電話するが、連絡がとれず、娘が帰宅したときには、誤報だと判明している。その間、ミハエルの兄は駆けつけているものの、彼はひとりで息子の戦死と向き合っている。

そんなミハエルが、施設に暮らす母親に孫の死を知らせに行く場面も印象に残る。ミハエルと対面した母親が最初に口にする言葉は、「シャツを入れなさい」だ。彼女は、息子の様子から重大なことが起こったと察するのではなく、服装の乱れをとがめる。それだけでも彼らの関係を想像することができる。だから、誤報だと判明したときに、トラウマを抱えるミハエルのなかで、抑圧に対する反動が起きる。

世代を超えて影響を及ぼすトラウマに潜む歪み

さらに、この映画の後半にも、ミハエルの心理がユニークなスタイルで表現される場面がある。ヨナタンは、スケッチブックにかつて父親から聞かされた話をもとにしたイラストを描いているが、それが動き出す。そのアニメーションのなかでは、ミハエルの母親が、かつて13歳のミハエルを魅了したピンナップガールに姿を変える。それは、抑圧と抑圧が生み出す見せかけの男らしさを象徴していると見ることができる。

ミハエルが、あるいは彼の世代が、心の傷や痛みを隠すのではなく、露にし、その苦しみを家族と分かち合えていれば、運命も社会も変わっていたかもしれない。ホロコーストを生き延びることと、イスラエルが自ら仕掛けた最初の戦争とされるレバノン侵攻を生き延びることは、意味がまったく違うからだ。この映画は、世代を超えて影響を及ぼすトラウマに潜む歪みを描き出している。

『運命は踊る』 (C) Pola Pandora - Spiro Films - A.S.A.P. Films - Knm - Arte France Cinéma - 2017 9月29日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開