さらに、カンブレのキャラクターにも現実が反映されている。タームハネー監督は、容疑者に仕立て上げられた実在の人物ジッテン・マランディにインスパイアされたという。マランディは、左派勢力のシンパとして音楽や演劇、討論などを通して、弱者を搾取する大規模な開発などに抵抗してきたが、危険人物とみなされるようになり、19人の人々が虐殺された事件の容疑者10人のひとりとして逮捕された。その後、裁判が繰り返され、解放されるまでに6年かかったという。
分断された二つの世界
そしてこの映画にはもうひとつ、際立った特徴がある。それは、裁判と並行して、女性検察官、弁護士、判事の私生活も描き出されるということだ。たとえば、女性検察官は、妻や母親として伝統的で、どちらかといえばつつましい生活を送っている。これに対して、人権派の弁護士は、車で聴いているジャズやスーパーで購入する食品類など、かなり西欧化された生活を送り、実家も裕福に見える。
タームハネー監督は、法廷を中心としたドラマのなかで、カンブレや死亡した下水清掃人とその妻が生きる世界と、検察官や弁護士、判事が生きる世界を巧妙に対置している。そんなふたつの世界は、明らかに分断されている。
この映画には、逮捕前と保釈後とカンブレが2度、舞台に立つ場面があるが、彼のパフォーマンスは、病気を抱えているとは思えないほど生気に満ち溢れている。しかし、法廷では別人のように寡黙になり、感情を表に出すことがない。また、弁護士に信頼を寄せているようにも見えない。カンブレにしてみれば、検察官も弁護士も揺るぎないシステムに組み込まれた歯車であり、不毛なゲームを繰り広げているだけなのだろう。
まともな教育が受けられない貧しい子供たち
そんな分断された世界を踏まえて、この映画の冒頭を振り返ってみると、最初に描かれるエピソードが非常に興味深く思えてくる。カンブレは狭い部屋に子供たちを集め、勉強を教えている。おそらく彼らは、まともな教育が受けられない貧しい子供たちなのだろう。ちなみに、カンブレのモデルになったマランディも、子供の頃に勉強がしたかったが、貧しくて学校に通えなかったと語っている。
そこで思い出されるのが、ノーベル経済学賞を受賞したインド出身の経済学者アマルティア・センとジャン・ドレーズの共著『開発なき成長の限界――現代インドの貧困・格差・社会的分断――』のことだ。本書には、教育と社会的分断に関して以下のように書かれている。
「インドでは極端なまでの階層化が教育の分野で容認されるようになってきているが、これはあまりにも正義に反しているだけでなく、躍動的な経済と進歩的な社会の土台を築き上げていくうえできわめて非効率的でもある。貧困、カーストによる分断、階級の壁、ジェンダー間の不平等、民族や社会集団に関連する社会的格差などによって押さえつけられている圧倒的多数のインド人をないがしろにしながら、一部の人たちだけが教育の恩恵を受けている。効率性と公平性を一緒に考えてみるという構造的な視点を持てばこそ、教育をめぐるこうした現状によって、インドがどのように(そして、どれだけ多くの)代償を支払っているかが最もよくわかるのである」
《参照/引用文献》
・Deaths in the drains by S. Anand | Opinion | The Hindu
・Fight for what's left: The story of Jiten Marandi, the Jharkhand activist by Dipti Nagpaul | The Indian Express
・『開発なき成長の限界――原題インドの貧困・格差・社会分断――』アマルティア・セン/ジャン・ドレーズ 湊一樹訳(明石書店、2015年)