<しばしば「天才」と称されるベテラン・ドキュメンタリー写真家、ダニー・ウィルコックス・フレイジャー。彼はなぜアメリカの農村部や地方都市を撮り続けるのか>

今回紹介するのは、ダニー・ウィルコックス・フレイジャー。アメリカのベテラン・ドキュメンタリー写真家である。同職の写真家たちがしばしば「天才」と絶賛する数少ない1人だ。

彼の作品の大半は、ごく普通に存在するだろうアメリカの農村風景だ。そうしたイメージの中に、何かに取り憑かれたような感覚を漂よわせている。それも、決してやらせや作りものではない人間ドラマの感覚だ。

おまけに、光や構図、とりわけ被写体と撮影時のカメラとの距離感は、イメージの美しさや力強さが誇張され過ぎる、ぎりぎり一歩手前――最も心地良いと思われるポイント――で抑えられている。

言葉にするのは簡単だが、大半の写真家は、写真が弱くなる可能性を恐れて、無意識にさまざまな要素を誇張してしまう。あるいは引き過ぎて、これまた凡庸になってしまう。そうした罠にはまらず、取り憑かれたような感覚と心地よさとを同居させるのは、簡単にできることではない。

とはいえ、フレイジャーの本当のすごさは、天才性よりもむしろ、運命的な境遇、努力、そして彼自身の強い決意から生まれていた。

すでに触れたように、フレイジャーの作品の核は過疎化が進むアメリカの農村部、あるいは衰退する都市である。そうした作品に固執する理由を問うと、彼はすぐにこう答えた。

「アメリカの農村部は自分のルーツだ」――作品は自分のメタファーになっている、というわけだ。

実際、彼はアイオワ州東部にある当時人口1000人ほどの町、 ル・クレアで生まれ育った。そして80年代、最も多感だったミドルティーン時代に、米中西部を襲った農村危機を経験していたのである。1929年の大恐慌以来とも言われた危機だ。

急速に拡大した市場主義、拡張主義のもとで多くの農家が負債を抱え、破綻していった。失業者たちは生きるために生まれ育った土地を離れて東海岸や西海岸の大都市に向かい、かつて活気があった田園地帯の村や町は急激に過疎化し始めた。アイオワでファミリービジネスを営んでいたフレイジャーの父親も、危機で大きな打撃を受け、それだけが理由でなかったとしても、その後両親は離婚したという。

農村部の崩壊は、ある種のRural Ghetto (田舎のスラム化)を生み出した。教育や医療が実質上存在しなくなってしまったとフレイジャーは語る。心臓発作が起こっても、緊急医療システムが機能しないため、死んでしまうような状況だった。

フレイジャー自身の中にあった「離郷願望」も、運命的に彼の作品に大きな影響を与えた。アートとジャーナリズムを専攻した大学を卒業後(後に大学院でもドキュメンタリー写真・映像フィルムの修士号を取得)、同郷の友人であり、すでに海外で活躍し始めていた写真家デービッド・グッテンフェルダーの勧めもあって、妻と一緒にケニアに移り住む。

アフリカで目にした光景