だが、カミーロはカミーロである。とりわけブルース・ギルデンとは全くタイプが異なる。ギルデンは物珍しさから被写体に惹かれ、その個性を最大限に利用しようとしているだけの感がある(少なくとも最近の作品は)。ウェイン・ローレンスの作品には、カミーロと同じく、被写体との親近感に満ちた力強さがあるが――熟練度の違いのためでもあるが――結果としてカミーロのほうが、より荒削りな"生(なま)の生活感"を押し出ている。

むしろ3人の中では、時代が全く違い、強烈なストロボはほとんど使わず引き気味の作品を生み出していたダイアン・アーバスに近いかもしれない。なぜならダイアン・アーバスの作品には、一般的に物珍しいと思われがちな被写体が選択されているにもかかわらず、ほとんど気負いが存在しないからだ。彼女の写真は、最大の目的の1つが、アウトライアー的な感覚を持ったアーバス自身と被写体との撮影を通したコミュニケーションだった。それにより双方の内面的な真実を探り出すことだった。

カミーロにも同じことが言える。彼は自分自身の写真についてこう語った。「作品としている被写体の多くに、彼らの中に、自分自身を感じる。......私にとって写真の目的は、外見じゃない。だって、例えばホームレスに見えても、私が出くわした被写体の大半はそうじゃないことが多いんだから。望んでいるのは、表面的なものではなく、彼らの中にある内面の真実を探り出すことだ」

さらに彼は言う。「最大の目的は、写真を通して自分の中にある真実を見つけること。それを写真で表現したいんだ」

言い換えれば、カミーロは彼自身を撮っているのである。アウトライアー的で過酷な経験をしてきたであろう自分自身を見つめ直そうとしているのである。だからこそ、技術的にはまだ甘くても、作品からは、取り憑かれたような生(せい)の魅力が解き放たれているのかもしれない。

今回ご紹介したInstagramフォトグラファー:
Donato Di Camillo @donato_dicamillo

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