(4)書き写す──至福の勤行

究極の遅読は、書き写すこと。いわば写経だ。写経というと、我慢を強要する修業のように思うかもしれないが、それは誤解だ。それどころか、至福の読書術といっていい。「抜き書き」と、本書では名付けておく。

これについては[編集部注:『百冊で耕す』の]第11章に詳しく書いている。

ところで、芥川の速読を戒めた堀辰雄は、プルーストの大長編『失われた時を求めて』を、詳細に、ノートにとりつつ読んでいた。ノートに原文を書き写し、辞書を引き、構文を解明し、丁寧に読み進めた。遅読の最たるものだ。

そして堀は、この本を読み終える前に死んだ。読書は、ついに未完に終わった。

18世紀のフランス革命では、貴族たちが次々に処刑された。処刑の前、泣き叫び見苦しいのは男のほうで、女性は平然としていた人が多かった。

そのなかでも、シャロストといわれる公爵は、様子が少し違った。処刑場に向かう馬車で、ずっと本を読んでいた。いよいよ階段を上がる段になって、ページの端を折った、という(ブクテル/カリエール『万国奇人博覧館』)。

本を読むとは、未完の人生を生きることだ。

※1回目:人生に本は100冊あればいい──紙の本こそが「速読に適したメディア」である理由とは?

※2回目:2、3冊の同時並行読みを15分──「5つの読書術」を半年続けることで表れる変化とは?

特設サイト:近藤康太郎『百冊で耕す』『三行で撃つ』(※試し読みや関連記事を公開中)

百冊で耕す 〈自由に、なる〉ための読書術

 近藤康太郎[著]

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