酷暑のバルセロナに来ている。

 いやいや、夏休みをエンジョイしているわけではない。四年に一度の、世界中東学会がこの地で開催されているからだ。自分の研究が世界水準にあるかどうか確認する機会であるとともに、若手研究者の国際舞台デビューの場でもある。一週間にわたるこの国際学会には、総勢50人近い日本人中東研究者が参加した。主催者は「中東研究者のオリンピック」と自負する。

 開催国からの参加者が多いのもオリンピックと同じだ。特にスペインをはじめEUは、9-11以降イスラーム世界とヨーロッパの対話、異文化交流を積極的に進めてきた。地中海の北の南欧と南の北アフリカ、東の中東から学者が一堂に介する交流プロジェクトに、EUが学術予算をつぎ込むケースは、多い。EU内の中東系移民の問題も、研究を促す要因だ。

 中東研究の世界では、統計や理論を重視するアメリカ系の学派と、歴史や哲学に古くからの実績をもつヨーロッパの学派で分かれる。昨今つくづく感じさせられるのは、戦後のイラクやアフガニスタンで米軍とともに現地に入り、情報を独占的に得ることのできる、米国のシンクタンクの圧倒的な強みだ。戦地でなくとも、国レベルの対米関係の強さと資金力をベースに、組織的に調査研究を進めるアメリカの研究プロジェクトは多い。

 それに対して、日本の学問の強みは何かが、真剣に問われている。日本人の研究は、良くも悪くも「オタク」だ。事実関係を細かく積み上げた上に議論が成り立っている。悪くいえば「よく知っている」だけになりがちだが、今回のバルセロナの学会では、欧米の同業者から「日本の研究は実証がしっかりしていて、いいねえ」とお褒めの言葉をいただいた。ありきたりのデータ、実態から遊離した統計をもとに議論を組み立てるアメリカ系の研究に対して、重箱の隅を突付くと揶揄されながらも、日本のオタッキーな研究手法は結構重要なのである。

 最近は「オタク」の偉大さに気づかず、アメリカ型の頭でっかちな理論研究に走る学生が多い。くわえて文科省が日本の研究者の「国際的評価」ばかりを気にするものだから、学者は自分の研究手法をアメリカ型に刷り合わせなければならなくなっている。まさにナンバー1ではなく日本にとってオンリー1の研究とはなにか、が失われつつある。ヨーロッパが着々と独自の中東研究を進めている、というのに。

 そんなことを、リゾート感溢れるビーチを横目で眺めながら、ドイツやイギリスの学者相手に激論しつづけるなんて、やはりオタクじゃないと研究者は務まらない。