●神を心から信じて神が求める行動を取らなければ「ハルマゲドン」で滅ぼされる。「世の人(信者以外の人)」は邪悪なので交わってはいけない。音楽や映画などの娯楽もすべて悪魔的なので避けること。子どもが親に口答え(とまではいかない時でも)するとこの一言でだまらされる。

●他の兄弟より信仰心がなかったので、嫌味のように手相を見ながら、「色情因縁が強い」などと言われた。

恐怖による支配は、根深い問題だ。教義として「地獄に落ちる」「いずれ悪いことが起こる」といった文言で信仰体験を求める声がけもあれば、失敗体験や傷病などを不信心のせいにされるという声がけもある。そもそも、信仰を求めてくる親に従わず、激怒される行為などに怯え、信仰(しているふり)を続けざるをえない場合もある。

恐怖を煽る声がけを、心理的虐待に含めることができるかどうか。あるいはそれに、適切に介入できるか。その「線引き」の難しさは前提とした上でなお、現実に起きている問題については、「虐待防止」の観点から議論が必要となるだろう。

価値観の「残響」に苦しむ2世

行動を制限したり強要したりする声がけの中には、「差別を助長する声がけ」も数多くある。男女の区別を強調したり、性的マイノリティを否定したり、障害や疾病を差別的な仕方で引き合いにだすようなケースである。

そのような声がけを受け続けることによって、差別意識を植え付けられ、成人後などに「加害者側」にさせられてしまうこともあるだろう。また、差別意識を持つ親に、自身のマイノリティ性を相談できなくなったり、自己否定を行ってしまうようなことにもなりえる。

いくつかの事例を見てみよう。
(※差別的な記述が含まれるので、ストレスやフラッシュバックなどに注意してください)


●現代は女性が男性よりも多くの割合で地獄に堕ちているが、その理由は女性が社会進出をして間違った自己実現をしているからと言われた。

●同性愛は聖書で禁止されていると言われた、いわゆるオネエ系の芸能人について、「ああいう人たちは地獄に落ちる」と言われた。

●「父性性」や「母性性」などが強調されたり、同性愛などトランスジェンダーなどについて、「異常で教義として許されないものである」という教育がされていた

●同性愛者は病気である、トランスジェンダーは信仰により克服できる、その経験談を美化して語る。

●同性愛は禁止。聖書自体のソドムとゴモラの記載をはじめとして、出版物には事あるごとに同性愛を批判し、男同士で寝る者を非難していた。私も自分が同性愛者であることは隠していた。未だに信者の母に対しては隠している。

「その後のケア」の必要性
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