為末:五輪経験のある選手から相談を受けたことがあります。もう一度五輪に出られると思うが、本当は迷っている、と。年齢を考えると、もう一度競技者として出るより、引退してビジネスの分野で五輪に臨んだほうがいろいろ経験できるかもしれない。本人はそう考えていました。

こんな考え、日本では軽々しく言えないでしょう? けれど人生は五輪後も続くと考えたら、一つの選択肢だと思いませんか。

「引退後」を悩んでいるアスリートは少なくありません。でも、関係者が多い分、表立って話せることが少ない。そういう選手は安心できる空間だと、本当によくしゃべります。

今は仕事として、アスリートや起業家と対面で話すことがよくあります。「こうすべきだ」ではなく「この人はこっちの方に進みたいんだろうな」と探りながら話します。

自分自身が「物語」に苦しんだ経験があるので、「物語」に苦しんでいる人がいたら、その人にあう新しい「物語」を提供できる人間でありたいです。

「物語」から逃れられないのなら自在に書き換えたい。

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──「物語」にとらわれている人に、どうアプローチするんですか?

為末:「白状」ですね。「僕はこんな感じで『物語』にとらわれてるよ」と先にさらけ出す。そうすると「そこまでは出していいんだな」という空気になります。その中で自分で自分を分析して、自分を物語ることで、少しずつ別の「物語」と自分を一致させていく。その繰り返しだと思います。

もう一つできることがあるとすれば、「あなたの今がこれまでの『物語』からズレていても、私はがっかりしないよ」と伝えることだと思います。本人が一番おびえるのは、今の「物語」から降りてしまった自分を、周りが失望して見放すことです。だから、今の「物語」にしがみついてしまう。

「物語」に苦しんでいる人に正論をぶつけても、何も解決しません。自分を縛りつけている「物語」から距離を取れるようになるには、本人が納得しないと始まらない。他者ができるのは、聞いて、聞いて、聞くことです。

こう話す僕自身も、実は「物語」にとらわれています。客観的な場所から「自分は『物語』から逃れている」と眺めているつもりでも、そんな自分もまた別の「物語」にとらわれている。

阿波踊りで「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」とうたいますよね。人間として、「物語」から逃れられないのなら、もっと自在に書き換えて生きていきたいと思っています。

縛られている自分自身を笑ったり、楽しんだりするしかないですよ。どうせ縛られてしまうのならば。

(文:笹島康仁   写真:西田香織   編集:錦光山雅子)

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為末 大(ためすえ・だい)

1978年広島県生まれ。男子400メートルハードルの日本記録保持者(20年3月現在)。2001年、世界陸上エドモントン大会で3位となり、陸上スプリント世界大会で日本人初のメダルを獲得する。その3年後、大阪ガスを退社。賞金とスポンサー収入で生計を立てる「プロ選手」の道を選ぶ。05年の世界陸上ヘルシンキ大会でも再び銅メダル。3度の五輪(シドニー、アテネ、北京)に出場、12年に引退。現在はスポーツとテクノロジーに関するプロジェクトを手がける株式会社Deportare Partners代表、アスリートの社会貢献をめざす一般社団法人アスリートソサエティの代表理事。

※当記事は「Torus(トーラス)by ABEJA」からの転載記事です。
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