<猛烈な宣伝とティモシー・シャラメの態度が鼻につく、『マーティ・シュプリーム』を素直に楽しめない>
▼目次
俳優としての実力は一流
主人公になりきり発言?
ワオ、この映画ですごい興行収入をたたき出したいと本気で思っているんだ──。
ジョシュ・サフディ監督の『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』について筆者がそう思ったのは、2025年後半のこと。10月のニューヨーク・フィルム・フェスティバル(NYFF)で世界プレミアが開かれて以降、あの手この手で猛烈な宣伝がされているのを目にしたときだ。
「この映画で」と思ったのには理由がある。サフディはこれまで、弟のベニーとの共同監督で、小粒ながら優れた作品を世に送り出してきた。物語だけ見ると、『マーティ』はサフディ兄弟の小粒な秀作のパターン(しがない庶民が大きな幸せを夢見て、結局破滅する)に当てはまる。
主人公のモデルとなったのは、1950年代に卓球選手として活躍したマーティ・ライスマン。ニューヨークの安アパート出身のユダヤ人の若者だが、卓球を通じて経済的な成功と世間の称賛の両方を手にする奇策を思いつく。
それはいわば、ゆがんだアメリカンドリームの物語だ。確かにマーティには卓球の世界選手権に優勝するほどの実力があったけれど、それが実現したのは、叔父から金を盗み、妊娠させた人妻のガールフレンドを捨てたからだ。
確かに『マーティ』には、サフディ兄弟の低予算映画に特有の荒削りなタッチがある。だが、主人公が日本やエジプトを飛び回るストーリーを描くために、6000万ドル以上の製作費がかかっている。