本作は、これまでの作品と比較すると、要素が圧倒的に少ない(大竹の言葉を借りると「極限にそっけない」)ことが特徴である。これまでも、「はいしゃ」では新潟のレンタルビデオ店で使われていた自由の女神像、《直島銭湯「I♥︎湯」》では、北海道定山渓の秘宝館入口に置かれていた象の立体、《女根/めこん》では宇和島に流れ着いた巨大なブイなど、大竹の作品では、どこか土俗的で無国籍な巨大造形物が空間の中心に配置されていたが、《針工場》における船型は、まるでご神体のような、神聖さが宿ったものとして空間全体を支配している。

大竹が、初めて眼にしたときから母性や神聖な温もりを感じたというこの船型は、豊島に送り出す直前の2015年秋に集中豪雨で山崩れが発生したものの、造船所建屋に流れ込んだ土砂や瓦礫が、奇跡的に船型の1m手前で止まったため、無傷で難を逃れたのだという。

さらに驚くことに、この宇和島の記憶の「生き残り」とも言える船型と、《針工場》の建物のサイズが見事に合致。こうしたいくつかの奇跡を背景に、大竹は、他の素材は何も足さず、これら二つの使われなくなったものの記憶の合体を究極のコラージュとした。

一方、ここで大竹がこだわったのは、船型の運搬方法である。かくして船型は、解体せずそのまま、宇和島の造船所から4日間かけて瀬戸大橋の下を通り、豊島へと運ばれ、かつての花嫁行列のように、船型に括られた大綱を手に豊島の人々が《針工場》まで練り歩いた。

それについて大竹は、「いつか参加した子供たちが、子供のころ仲間と一緒に島の道路で大きな船を引っ張った記憶を、この先の日常でふと思い出すようなことがあれば、それで十分だ」と言う。船も針も生み出さなくなった船型と工場跡は、大竹の手により繋がり、場所と時代の記憶が継承され、未来の記憶を生み出す装置へと生まれ変わったのである。

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2015年12月8日、豊島島民の手による船型の運搬の様子

豊穣なる出会い

2022年、コロナ禍で開催が遅れていた東京国立近代美術館での個展を前に、その内容や思いについて聞いたところ、「テーマというわけではないが、何十年もやってきたなかで消えないものが大きな流れのなかで見えてくる」、との答えが返ってきた。いっぽうで、宇和島の造船所がなくなったことで「1クール」が終わった感じもあるという。

振り返ってみると、宇和島、そして造船所との出合いは、大竹の創作活動の大きな分岐点であり、この「1クール」は、ベネッセアートサイト直島との協働の歴史とも合致している。

「かつて福武代表に、「大竹は宇和島にいるから面白い」と言われたが、実際、宇和島にいなかったら、ほぼ、直島の作品は出来ていなかった。東京にいたら作れなかったものばかり。その意味で、宇和島との縁により、直島での数々のプロジェクトが出来たとも言える。自分は、「ストリート系」というか、美術館の外に興味が惹かれる対象物を見つけるタイプであり、作家の自我による作品制作と並行して、銭湯や寄合所など機能性重視の場所を通して、アートと社会施設とのギリギリの関係を探ることにも興味がある...」