この年、後に「もの派」と呼ばれるようになる関根伸夫らと知り合い、密な関係性を持つことになった李は、美術評論「事物から存在へ」を執筆。また、トリックを超える必要も感じていた李は、関根伸夫が「第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展」に出展した《位相―大地》という、地面に円筒形の穴を掘り、その横に掘り出した土を同じ形で置いた作品に衝撃を受ける。

西欧モダニズム的な人間主体で対象化する態度ではなく、ありのままの世界を見るべく、作らないことの意味を感じ、関根伸夫論を発表するとともに、この頃に視覚的矛盾や暴力性を感じさせる、自然石とガラス等を組み合わせた、「関係項」シリーズの最初期の彫刻も生み出している。

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《関係項》1968/2010(李禹煥美術館 写真:山本糾)

以降、李はもの派の理論的支柱と捉えられるようになっていくわけだが、決して評論家になりたかったわけではなく、作品について理解してちゃんと書いてくれる人がいなかったため仕方なく書いていただけだという。

だが、理論と実践の間を行き交うことは、文学的かつ哲学的な資質があって初めて可能であり、作品におけるアート以外の要素の在りようや両義性を考える等、創作にとって大きな意味を持つだけでなく、作家として独自の立ち位置の確立に繋がっていることも事実だろう。

李禹煥「日本では侵入者、韓国では逃亡者」。マイノリティであることが作品に与えた力 に続く。

※この記事は「ベネッセアートサイト直島」からの転載です。
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