<ニューヨークでは、戦争当事国の人々も隣人同士。市内にはウクライナ系が全米最大の約15万人、ロシア系は約60万人が暮らす。大江千里がつづる、身近な「戦争」>

近所のイタリア料理店で働くミハイルはウクライナ人だ。コロナ禍で僕が姿を消し、久しぶりに店に顔を出すと、涙を流して喜んだ。そんな彼の家族や親戚の多くは、まだ元「母国」ロシアにいる。

ソ連からの独立を体験した彼は独立国民であることの誇りや、自由のありがたみを切々と語る。「モスクワの赤の広場では、GPSで位置を確かめようとしても別の場所になっちゃうんだよ。あんな情報操作の国は二度とごめんだ」と、ミハイルは言う。

でも国が分離してもロシアは元母国。彼の得意料理はボルシチだ。

2月24日、ロシアが武力でウクライナに侵攻した。1カ月が過ぎ、西側はウクライナの求める最大限の支援まではなかなか応えることができないでいる。

欧州諸国からすれば、いま武力でウクライナを支援しようものなら地続きの自国が攻撃され第3次世界大戦になる。バイデン米大統領は、ギリギリのところで戦争の当事者に加担しない、という線を守っているように見える。

僕の周りでは、ロシアのプーチン大統領が核を使うのではないかという会話も聞こえる。「デンマークの近くの北海辺りか?」「ロシアはアメリカの『裏庭』ベネズエラに核を持ち込むのか」。

ちょうどかの地の午後の攻撃がこちらの朝になるので、SNSを通してじかに伝わる戦禍の情報を交換したり考察したりする。

アメリカは歴史上、実戦で核兵器を使った唯一の国だ。だからこそ二度と戦争を起こさないために核が必要という考え方も根強い。しかし核を持っているために、核戦争の脅威と常に隣り合わせという現実もある。

アメリカにいると、「戦争」をより身近に感じることもある。よく行くジムの前で、手足のない退役軍人のおじさんが車椅子に乗ってDVDをワゴン販売している。

前線でアメリカのために戦って帰国した彼を警官も黙認し、一緒になって談笑する姿をよく見掛ける。国内にはまだ年若い「戦争体験者」がたくさんいる。

ウクライナ国歌をピアノ演奏

一方で、ニューヨークは世界中からやって来た人々が共存する街だ。戦争当事国の人々も隣人同士であり、市内にはウクライナ系が全米最大の約15万人、ロシア系は約60万人が暮らす。

僕の行きつけのイーストビレッジのウクライナ料理店では支持者たちが募金を行い、いつも客でいっぱいだ。手作りのウクライナ国旗色のクッキーは飛ぶように売れている。この戦争を悲しんでいるのは、ウクライナ人だけでなくロシア人も同じ。募金、デモ、SNSでの発信と、自分にできることをみんなが淡々とやっている。

ミハイルも「とにかく戦いをやめて平安に戻ってほしい」と元母国に対して切に願う。僕は何かできないかと探していて、心を動かされた美しいウクライナ国歌をピアノで演奏しYouTubeにアップした。

ロシア人でプーチン支援者とされる芸術家たちが続々と公の場所から排除されるのも見るに耐えない。今こそ芸術でメッセージを伝えるときだ。

この原稿が掲載される頃に世界情勢がどうなっているか想像もつかないが、僕はこの戦争から目をそらさず日夜ピアノに向かい曲を書いていこうと思う。