そうした評判を跳ね返すかのように、サァドは2006年1月、ジャービル首長の没後、首長位に就いたが、すでにそのときには彼は重篤な病に冒されており、わずか9日で国民議会(クウェート国会)によって退位させられてしまったのである。
同様に、サウジアラビアのバンダル・ビン・スルターン王子(元駐米大使、元総合諜報庁長官)も、若いころより有能との評判があったものの、誰も彼が将来の国王候補だとは考えなかった。彼がエチオピア人奴隷の母親から生まれたためであった。
ちなみにサウジアラビアではこれまで、母親が奴隷や召使のような存在だった王子が王位についたことはなかったが、国王「候補」とみなされることはあった。ただ、それも、母親がアルメニア人やアラブ人の場合にかぎられる。これらは、もちろん公然と語られることではなかった。肌の色や出自の問題を公式の場でいうべきではないという程度の理性は、クウェートやサウジアラビアでもきちんと働いていたといえるだろう。
イスラーム史学の泰斗、バーナード・ルイスは、イスラーム世界における肌の色と差別の問題をあつかった『Race and Colors in Islam』や『Race and Slavery in the Middle East』という本のなかでイスラームにおける人種差別の問題を詳細に分析している(ちなみに彼自身、熱烈なイスラエル支持者として知られている)。そのなかでルイスは、イスラーム世界において肌の色による差別が存在していたことを明らかにしているが、それがかつての米国や南アフリカのような制度的な差別とは異なるとも述べている。
また、彼は、イスラーム世界に肌の色による差別がないというのも偏見であるとしながら、その偏見を作り出したのも、実は西洋人であったと指摘している。アラブ世界における肌の色による差別が制度的なものではないとすれば、それが顕在化することが少ないのもうなずける。だが、そうした差別が現に存在していることまで否定することできないはずだ。
エジプトのヌビア人等を別にすれば、黒い肌をもつアラブ人たちがみずからを民族的集団として自覚したり、他者から集合的に意識されたりすることは稀であろう。他方、単純労働者や肉体労働者、家内労働者としてアフリカ等からアラビア半島に入ってくる肌の黒い人たちのなかには事実上の奴隷のようなあつかいを受けるものも少なくない。
「黒人の命は大切」運動が注目を集めるなか、先祖が奴隷であった可能性もある黒い「アラブ人」たちは何か新たな動きを示すのだろうか。
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