アステイオン

座談会

総合雑誌から新書、そしてネットフリックスへ──拡大し続ける「論壇」

2022年01月21日(金)15時50分
大内悟史+小林佑基+鈴木英生+田所昌幸+武田 徹

■田所 確かに大学生などが偉そうに何かを議論するときに「これを読めばいい」と論壇時評を「あんちょこ」にするというのは、非常に現実感のあるお話ですね(笑)。それに、「論壇」は英語で何と言い、そもそも海外には存在しているのか? とも思いました。

少数のエリート知識人だけではなくて、「大衆(マス)」も包摂するような媒体を出してきた、日本の新聞社が果たしてきた役割も関係しているのでしょうね。鈴木さんはどうでしょうか?

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鈴木英生(Hideo Suzuki)/1975年生まれ。毎日新聞東京本社オピニオングループ専門記者。京都大学経済学部卒業。2000年毎日新聞社入社。青森支局、仙台支局、学芸部などを経て、現職。著書に『新左翼とロスジェネ』(集英社新書)など。

■鈴木 主な雑誌を中心にして成立してきた論壇の輪郭がぼやけているのは、ご指摘のとおりだと思います。大内さんがいらした『論座』も含めて、『月刊現代』やいくつもの雑誌がなくなったのが、2010年前後。総合誌だけで形成できた戦後論壇の枠組みが、そのときに終わったのではないかと僕は思っています。

しかし、総合雑誌が少なくなった頃から新書ブームが起き、雑誌のつくりに近い新書が増えましたよね。ですから、新書を「論壇時評」の対象にすることをその頃からやっています。

その頃はウェブメディアで質のいいものはまだ少なかったのですが、むしろ今はウェブにいいものが多くなっているので、「論壇」がどこまでも広がっている。ですから、「これが論壇だ」と想定するものをこちらが決めていくしかありません。

また、論点的メディア人物、つまり山崎正和先生のような総合的知識人を今の中堅より下の世代で見つけるのが難しくなっています。これも、論壇の枠組みを見えにくくさせている一因かもしれません。もしかしたら、東浩紀さんが該当するのかもしれませんが、今後、どうなっていくのかという点には注目しています。

他方、『WiLL』や『Hanada』を中心とした「右派論壇」はしっかりブロックが形成されているので、そこは明確な「論壇」が存在すると言えるかもしれません。

接点としての「論壇」、論壇記者の「技」

■田所 今、山崎先生のお話がありましたが、「あの人はどう発言するのか?」と皆が注目するような知識人が減っているのは、日本だけではなく、グローバルに起きています。さまざまな問題について一定の見識を持って総合的に語る知識人の在り方自体が、非常に難しくなっている。

では逆にジャーナリズム側から見て、アカデミズムについてどう思われますか?

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