ルワンダ現政権は虐殺の加害者だった──新著が明かす殺戮と繁栄の方程式

2018年5月9日(水)17時40分
米川正子(立教大学特定課題研究員、コンゴの性暴力と紛争を考える会の代表)

筆者がレインチェンス氏を日本に招聘して立教大学で講演会を開催した2014年には、「RPF はジェノサイドを犯しておらず、RPFの『ダブル・ジェノサイド説』を支持していない」と述べていた。上記のツイッター(注1)がいかに政治的に衝撃的であるか理解できるだろう。

1994年6月、フランスのアラン・ジュペ外務大臣(当時)がジェノサイドについて執筆した際、双方が罪を犯していることを示唆して、複数形のジェノサイド 'genocides'を用いた。フランスのフランソワ・ミッテラン大統領(当時)も 1994 年 11 月に行われた演説で、同様の表現を使った。

RPF の元メンバーのアブデゥル・ジョシュア・ルジビザ氏もまた、ダブル・ジェノサイドを明確に論じている。(注2)

これだけでも恐ろしいのに、RPFはルワンダでジェノサイドを行っただけでなく、隣国コンゴ民主共和国(コンゴ)でも行ったとされる。

敵になりすまして味方を攻撃

1996年、「自国の安全保障上の理由で」コンゴに侵攻したルワンダ軍(RPFの軍隊)はコンゴ東部に侵攻し、難民キャンプを襲撃した。その際に、ルワンダ難民(フツ)と彼らを受け入れたコンゴ住民計数万人を殺戮した。

その行為は、1998年の国連報告書(ガレトン・レポート)と2010年に公表された国連報告書(マッピング・レポート)によると、「ジェノサイド」と特徴づけられる。

ただし同報告書は司法調査ではなく、国内の人権侵害を包括的にまとめて分析し、衝撃的な法の裁きの欠如を徹底的に記したもので、ジェノサイドの認定に関しては裁判所が決めるとした。

ここで留意すべき点が2点ある。1つ目は、ルワンダでのジェノサイド後、RPFがコンゴ東部の資源を確保するために侵攻計画を立てた際、侵攻の「安全保障上」の口実をつくるために、コンゴからルワンダへの軍事行動を「敵(第三者)になりすまして(false flag operation)」を仕掛けたことである。

1996年以降、現在までコンゴ東部での紛争がまだ続いているのは、主にRPFの責任である。

そして2点目は、実は、ルワンダのジェノサイドとコンゴのジェノサイドの両方を調査した国連法律家によると、後者では前者と同様か、あるいはさらに悪いパターンが起こったという。 (注3)

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(注1)「世界難民の日」国際シンポジウム報告書「ルワンダのジェノサイドと国際協力 ~残虐行為と難民流出をどう予防すべきか~」 立教大学、2014 年6月20日。
(注2) Juppé, 'Intervenir au Rwanda', Libération, June 16, 1994; Mitterand, 'Discours de Monsieur François Mitterand', Biarritz, 8 November 1994, 4; Ruzibiza, Rwanda. L'histoire secrète(Panama, 2005)328-336.
(注3)Judi Rever, "Congo butchery `like Rwandan genocide,'" 28 August 2010
https://www.smh.com.au/world/congo-butchery-like-rwandan-genocide-20100828-13wbm.html

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